異教への敬意を表し、共通の価値観を見出したスルタン・カーミルとアッシジの聖フランシスコ

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 国連の人権理事会は中国のウイグル人の人権問題で「深刻な懸念を抱いている」という共同声明を出している。この共同声明にはイスラエルも名前を連ねているが、イスラエルはイスラムの聖地でもあるエルサレムを占領し、パレスチナ人が居住するガザ地区をたびたび空爆するなど人権侵害がイスラム世界から反発されている。イスラエルにはまず自らの足元を見る必要があるとパレスチナ人をはじめ多くのムスリムからは思われているに違いない。


 フランシスコ教皇は異教への敬意の例としてアッシジの聖フランシスコとスルタン・カーミルの出会いをしばしば引き合いに出している。

アッシジの位置
https://www.travel-zentech.jp/world/map/italy/Map-Assisi-link.htm?fbclid=IwAR2F9-w4GNbUhFHyd6UH5WvRkOO9GkrrLO_Sl_IXcWx0ptG3VvyTLnMZOBs


 第5次十字軍が行われていた1219年、アッシジのフランシスコはエジプトの地中海に臨むディムヤートに到着したが、この貿易と商業の中心であった都市に赴いたのは、十字軍にディムヤート攻撃を止めるように説得し、異教徒のムスリムにキリスト教の精髄を説明することが目的だった。しかし、戦闘を継続した十字軍はアイユーブ朝(1169~1250年)軍に敗退し、聖フランシスコは捕らえられてスルタン・マリク・カーミル(在位1218~1238年)の下に連れていかれた。

ディムヤート(エジプト)
https://www.excursiesegypte.nl/en/top-10-attractions-in-damietta?fbclid=IwAR3WX7jBqODUTYq142HPioWTvctC6VBiqEr14bYXNchZmvtdfxZ34fwI498


 十字軍を撃退したアラブの英雄サラディンの甥であるスルタン・カーミルは、学芸を愛好し、寛大で、高潔な人物として知られていた。ディムヤートの戦いでも十字軍に対して講和を数度にわたって申し入れていた。エジプトでもクリスチャンの扱いに寛容だったスルタンは、ヨーロッパ側の史料でも十字軍の捕虜を人道的に扱っていたとされている。当時のエジプトではムスリムもクリスチャンの礼拝の場を同じくする場合もあったとされるほどムスリムとクリスチャンは同じ社会の中で融合していた。

聖フランシス大聖堂を含むアッシジのプライベートウォーキングツアー
https://www.viator.com/ja-JP/tours/Assisi/Assisi-Private-Walking-Tour/d27667-7233P1?fbclid=IwAR3WX7jBqODUTYq142HPioWTvctC6VBiqEr14bYXNchZmvtdfxZ34fwI498


 聖フランシスコは、スルタンと彼のイスラム神秘主義の師であるファフル・アッディーン・アル・ファーリスィーと会談した。聖フランシスコはスルタンがキリスト教に改宗することを望んだが、しかしスルタンが神をよく理解し、神への愛に優れた人物であり、価値観を共有する人物であることを知ることになる。会談は1219年9月1日から26日まで行われたが、宗教間の対話こそが平和をもたらす道であることを後世に伝えることになった。


 ディムヤートは、地中海の主要な貿易港で、アフリカ、アジア、ヨーロッパから商人たちが行き交い、カトリック文化にも触れる機会が少なからずあった。商業や貿易の他にも、ディムヤートがある地中海地域は11世紀から13世紀にかけて学芸や文化の交換が頻繁にあり、スルタン・カーミルは様々な背景や宗教の人と交流があり、学識のある人々との対話が好きだった。


 十字軍の戦いがある中で聖フランシスコとスルタン・カーミルが対話を行ったことは、暴力の行使がいかに無益か、力による勝利がいかに幻想的で、空しいか、敵を倒すことによって得られる平和がいかに脆く、はかないかを伝えるものでもあった。


 スルタン・カーミルが心酔していたイスラム神秘主義は神への愛に身を捧げることを説き、これと神との合一(ファナー)、神についての神秘的知識(マリーファ)の三つの要素を統合する。イスラム神秘主義は、多様性は神の人類に対する慈悲・恩寵などとも解釈を行うが、神秘主義が本来もつ平和思想も、スルタンの聖フランシスコとの対話や相互理解の背景とり、清貧を重んずるイスラム神秘主義の価値観も聖フランシスコに通じるものがあった。

イスラム神秘主義者(スーフィ)
https://www.pinterest.jp/pin/207095282844890800/


 のちにスルタン・カーミルは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とジャッファ条約を結び、エルサレムをめぐる和平を成立させた。フリードリヒ2世が亡くなると、その亡骸の衣装にはアラビア語で「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」とスルタン・カーミルを称える刺繍がされていた。


私は愛の宗教を告白する。
愛の隊商がどこに向かおうとも、愛こそが私の宗教であり、信仰である。
イブン・アラビー(イスラム神秘主義の思想家)

アイキャッチ画像は

スルタン・カーミルと聖フランシスコ
平和創造のモデル
https://www.ncronline.org/blogs/ncr-today/recent-release-francis-and-sultan-documentary-perfect-timing?fbclid=IwAR3sUGOdGLA3UHzVrNehQHDoeFqp0ea65oRK0CQfHhlYVR_DasqKT3nNOHY

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