スペイン中部のアラゴン州の州都であるサラゴサは714年に後ウマイヤ朝のイスラム支配を受けるようになり、778年にフランク王国カロリング朝第2代王カール大帝に包囲されたこともあったが、後ウマイヤ朝はその進出を阻んだ。
ちなみに、このカール大帝のスペイン遠征を題材に古フランス語叙事詩である有名な『ローランの歌』も11世紀につくられた。『ローランの歌』は、撤退する部隊の最後尾を務めていたカール大帝の甥であるローランが、後ウマイヤ朝軍によって包囲され、カールから賜った剣で最期まで勇猛に戦い、戦死したことを題材にするものだ。フランク王国の進軍は785年のジローナ、また801年のバルセロナの戦いで停止し、後ウマイヤ朝のアンダルス支配は守られることになった。
後ウマイヤ朝が弱体化すると、スペインはタイファ(小王朝)期となり、サラゴサもフード朝(1039~1110年)が支配するようになった。1110年にベルベル系ムラービト朝(1056~1147年)に征服され、さらに1118年にアラゴン王国のアルフォンソ1世が征服すると、アラゴン王国の首都となり、その後3世紀半その繁栄を維持した。
このサラゴサには2001年に世界遺産登録されたアルハフェリア宮殿がある。この宮殿はバヌー・フード家(フード朝:1039~1110)首長(王、アミール)のアフマド1世によって建立され、世界的に著名なグラナダのアルハンブラ宮殿にもその建築様式は影響を与えた。1118年後にキリスト教徒の支配を受けてからもその保存状態は良く、現存するスペイン・イスラム期の典型的で、貴重な建築物であり、現在アラゴン州議会がここに置かれるなど行政機能も維持している。

アラビア語が彫られている
http://www.spainisculture.com/en/monumentos/zaragoza/palacio_de_la_aljaferia.html?fbclid=IwAR2laYSKUnBenk3jp11fTZCUeE95GVmdeJ9drOCbv-mdJlhLLSasY3txuy8
宮殿内にはイスラム建築に特徴的な幾何学模様や、草花模様などアラベスクのデザインが柱や壁に施されている。イスラムでは人物や動物をデザインとして描くことができないために、美しい幾何学模様や草花模様が高度に発達した。人物や動物を描くことはイスラムの聖典コーランによって禁じられているわけでなく、9世紀に成立したハディース(預言者ムハンマドの伝承をまとめたもの)で繰り返し述べられるようになったもので、イスラムが7世紀に成立したことを考えると、後世の信徒たちの考えや解釈が反映されたものとも言える。

https://stworld.jp/earth_info/ES/g/ZAZ/1/
人物、動物を描くことができないために、イスラム世界の装飾は幾何学模様や草花模様に内在的意味を込めるようになった。幾何学的な装飾の妙技と複雑さは、多くのイスラム建築とデザインの強い数学的傾向を示すものであり、そのような作品にはピタゴラスとユークリッドの影響を認められるという主張もある。幾何学模様が含まれていることによって、イスラム世界で数学の研究がいかに盛んであったかをうかがい知ることにもなる。イスラム装飾の場合、明確な意味が見られないことで、鑑賞する側はその象徴的で、神秘的解釈を独自に行うことにもなる。そしてイスラム装飾の中にはコーランの一句などアラビア語を組み入れることによって、さらに宗教的な性格を強調する場合もある。
アルハフェリア宮殿には北と南に2つのプールがある中庭があり、また、ゴールデン・ルーム、あるいはマーブルルームと呼ばれるスルタンの謁見室の隣には小さな八角形のモスクが残り、王と家族の礼拝堂として設計されたことを伝えている。

サラゴサ
https://www.agoda.com/city/zaragoza-es.html?cid=-151
アルハフェリア宮殿の保存状態が良いことは、その後にサラゴサを支配したキリスト教徒たちがこの建築物にいかに敬意を抱いていたかを伝えるものであり、ある意味で現存する宮殿はイスラムとキリスト教の協力によってその姿をいまに伝えるものでもある。
アイキャッチ画像はアルハフェリア宮殿
https://www.reddit.com/r/europe/comments/7p211y/aljafer%C3%ADa_palace_zaragoza_arag%C3%B3n_spain/

https://www.interest-all.com/ishihara-satomi-suppin-in-spain/?fbclid=IwAR2laYSKUnBenk3jp11fTZCUeE95GVmdeJ9drOCbv-mdJlhLLSasY3txuy8
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