イタリア・ルネサンスはイスラム文化によって成り立っていた -フィレンツェ

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Translation / 翻訳

 イタリア・トスカーナ地方の中心フィレンツェのバルジェロ美術館はイスラム関連の展示品を誇っている。イタリア・ルネサンスの中心でもあったフィレンツェは、メディチ家支配によってイスラム世界との交流を促進した。フィレンツェのシンボルとも言えるドゥオーモの建築様式は、「ダブル・ドーム」になっている。「ダブル・ドーム」とはドームの内殻と外殻を設け、ドームの室内の高さよりも、外側はそれよりも高いことを際立たせている。ダブル・ドームの様式は、セルジューク朝時代のペルシアで生まれ、発達したもので、さらにオスマン帝国で発展していった。

フィレンツェのドゥオーモ
象牙製の角笛
シチリア島
10世紀から11世紀
バルジェロ美術館


 フィレンツェは、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパ商業や金融の中心となり、また学問や芸術でもルネサンス文化を大きく開花させた。


 イタリアのルネサンスは、イスラム文化がなければ成り立たなかった。特に、ムスリムたちによる数学理論、幾何学、光学の分野での発見は、イタリアの芸術家たちが絵画の遠近法を習得するのに役立った。思想の面でも人間性が重視されて、ムスリムたちが訳したギリシア・ローマの古典文化が手本となった。


 フィレンツェのイスラム世界との関わりは中世に始まったが、その関係が大きく促進されたのは、15世紀から18世紀までこの都市を支配したメディチ家によってであった。フィレンツェは絹織物やベルベットの輸出によって潤い、イスラム世界からは絨毯、香辛料、絹糸、陶器、ガラス、金属細工などを輸入していた。


 イスラム世界の巨大で、高級な絨毯は15世紀から16世紀にかけてフィレンツェの富裕な家庭によって競うようにして購入され、絨毯はルネサンス期の絵画にも描かれた。メディチ家がマムルーク朝のエジプトから購入した絨毯はマムルーク朝時代のものとしては最大のものとされている。このメディチ家のマムルーク絨毯は1983年にフィレンツェのピッティ宮殿で発見された。ブルジー・マムルーク朝のスルタン、アシュラフ・カーイトバーイは1487年にメディチ家最盛期の当主ロレンツォ・デ・メディチに贈った「メディチのキリン」は剥製化されてフィレンツェ自然史博物館に展示されている。


 「フィレンツェのシャーナーメ(王書)」は、イランの国民的詩人フェルドウスィー(940~1020年)の『シャーナーメ』の写本とすれば、世界最古の部類に入る1217年に作成されたもので、16世紀に商人によってフィレンツェにもたらされた。『シャーナーメ』 はアラブに征服される以前のイランの神話、伝説、歴史が語られ、イラン人に民族的誇りをもたせ、正義には報いがあるという内容となっている。


世は思い出、われらは去りゆく者
人に残るのは善き行いのみ(『シャーナーメ』より)

アイキャッチ画像はフィレンツェ市遠景

ドゥオーモ内
球形香炉
イラン
イルハン朝時代
バルジェロ美術館
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