「愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。」 ―ヘルマン・ヘッセとイランの詩人ハーフェズ

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Translation / 翻訳

「愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。」 ―ヘッセ


 これは、ヘルマン・ヘッセが1914年9月に「チューリッヒ新聞」に寄せた「友よ、その調子ではなく!」という短い論稿の中の一節である。第一次世界大戦は1914年7月から始まったが、ヘッセはこの論稿の中でドイツにおいて敵国民の精神的な作品がボイコットされていることを嘆き、その一例としてドイツ人によって忠実に愛情込めて翻訳された日本の美しいおとぎ話がドイツの敵国であるという理由で今では黙殺されなければならないことに心を痛めている。

https://twitter.com/yuttarimeigen/status/1280079242135343105?fbclid=IwAR0M8FZre0zDvGyOYB7IN2O4hQCcU3WoVllpYevnLuQZSo5Dw_mwvao5yDw より


 この論稿の最後にヘッセは戦争を克服するための理性や主張を端的に、強調的に訴える。いま、ヘッセがこの論稿を書いた時代と同様にヨーロッパは戦争の渦中にあるので、人の心を震わせ、人間が学ぶべきヘッセの知恵や訴えを少々長いが、下に引用して記す。


「なお一言、この戦争のもとで絶望に悩んでいる多くの人々に、また今は戦争だということによってあらゆる文化と人間性が破壊されているように思う多くの人々に、訴えたい。人間の運命が知られるようになってから、戦争は常にあった。戦争がなくなったと信じることには、何の根拠もなかった。長い平和の習慣がそう思いこませたにすぎなかった。人間の多数がゲーテ的な精神界にともに生きることができないかぎり、戦争はあるだろう、おそらく常にあるだろう。しかし、戦争の克服は、昔も今も、われわれの最も高貴な目標であり、西洋的キリスト教的文化の最後の帰結である。悪疫に対する薬を求める科学者は、新しい伝染病に襲われても、研究を放棄しないだろう。ましてや、「地上の平和」と、善意を持っている人々の間の友情はわれわれの最高の理想であることを、いつの日になってもやめないだろう。人間の文化は、動物的な衝動を精神的衝動に高めることによって、恥を知ることによって、空想によって、認識によって、成立する。人生が生きるに値するということが、あらゆる芸術の究極の内容であり、慰めである。人生を賛美する人がみな死ななければならなかったとしても、愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争よりもけだかいということ、そのことを、今度の不幸な世界戦争こそ、われわれがかつて感じたより深くわれわれの心に焼きつけなければならない。そのほかに戦争は何の役に立つだろう?」


 ゲーテは、ペルシアの詩人ハーフェズ(ペルシア最高の叙情詩人と言われる。1390年没)に感銘を受けて彼自身の「ディーヴァン(ペルシア語で「詩集」)である『西東詩集(ディーヴァン)』を1814年から19年にかけて書いた。ゲーテはハーフェズを精神において「双子の兄弟」とも形容した。彼の詩のテーマは「愛」だが、異教のキリスト教への想いを次のように表している。この寛容な精神世界をロシアや欧米の指導者、イスラム世界の過激な勢力にも知ってほしいとつくづく思う。


愛は栄光の降るところ
汝の顔より 修道場の壁に
居酒屋の床に、同じ
消えることのない焔として。
ターバンを巻いた修行者が
アッラーの御名を昼夜唱え
教会の鐘が祈りの時を告げる
そこに、キリストの十字架がある。
       -ハーフェズ

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