昨年9月にシチリア島を訪問する際にトランジットでローマに入った。ローマでは半日しかなかったが、ホテルのスタッフの勧めもあって、東京のはとバスのような観光バスに乗り市内を見てめぐった。ひとつひとつの観光目玉をじっくり訪ねると、1週間ぐらいはゆうにかかりそうなところだ。
キリスト教の宗教活動の中心でもあり続けたローマは、歴史的にもイスラム世界との接触はあまりないが、市中で頻繁に見かけるのはパキスタンやバングラデシュなど南アジアからのムスリム移民たちだ。バチカンのサンピエトロ寺院の前で土産物店を経営しているパキスタン・ラホール出身のムハンマドさん(イスラム世界にはこの名前が多いが)になぜパキスタンを離れたかを尋ねると、政治の腐敗に嫌気がさしたと語っていた。

おそらく「イスラム原理主義」が成長する国内的要因である腐敗や抑圧など政治の正当性の欠如、また貧困、貧富の差の拡大などの要因を背景にしてイスラム系諸国からの移民、難民は生まれるのだろう。土産物店と言っても観光客が飛びつきたいような品物はあまりない。ヨーロッパを「華」とする世界の経済、あるいは政治の「華夷関係」から移民は生まれている。タリバン支配の復活というアフガニスタンの政変でも欧米を目指す人は多い。
バチカンも訪問したが、昨年10月にローマ教皇フランシスコが、新回勅「フラテッリ・トゥッティ(Fratelli tutti「兄弟である皆さん」の意)」を明らかにしたことを思い出した。その内容は十字軍の時代に愛と平和を説き、1219年にムスリムであるエジプトのスルタン、アル=マリク・アル=カーミルと会見したアッシジのフランチェスコ(1182~1228年)に影響を受けていた。回勅では、アッシジのフランチェスコがどこにいようとも平和の種子を蒔き、貧しく、見捨てられた人々、弱者、追放された人々とともに歩んだことが強調されている。

回勅は、コロナウイルスが軍事力では乗り越えられなかったように、世界の安全保障の虚偽をパンデミックが劇的に暴露し、人類が十分に協力できていないことを明らかにした。現在の世界は、キリスト教、イスラム世界ともに不寛容が台頭しているが、教皇は盲目的で、利己的なナショナリズムが、無慈悲な経済、文化的グローバル化によっていっそう強められていると主張し、個人的な価値の重要性が消費に向けられ、人間の共同生活の価値が弱められ、弱者や貧者をより脆い存在にしていると回勅の中で語った。ローマの街頭で、土産物や古本、絵画などを売るイスラム系移民を見ていると回勅の中でローマ教皇の述べたことは現代世界が抱える問題の本質をついているように思う。
アイキャッチ画像はコロッセオ


16世紀に造られた教会前の大階段は天の祭壇につながるので、「天国の階段」と呼ばれている。

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