菅義偉前首相による日本学術会議の任命拒否など学問への政治の介入は日本だけにとどまらない。アメリカではトランプ前政権は「批判的人種理論(critical race theory)の研究や教育を行う機関への連邦予算の見直しを行った。学問への介入は、教育や研究の自由を奪う民主主義の原理に反するものだ。「批判的人種論」は、マイノリティである非白人の経験を強調し、その視点から新たな法学の構築を考え、ヘイトスピーチなどの差別行為の禁止を主張する。
アメリカのトランプ政権の出現、ヨーロッパにおける極右の台頭など、反民主主義的なナショナリズムや反知性主義の台頭は世界を覆う現象のようになっている。
イタリアでも連立政権に参加したことがある極右政党「同盟」はボローニャ大学で使うテキストにこの政党がファシストで、排外主義、暴力的性格をもっていると書かれていることに反発し、19年4月にテキストの不使用を求めた。このテキストは政治学の権威ある教授たちによって書かれたものだが、「同盟」は公僕である教授は国家に忠実であるべきことを訴えた。1930年代のイタリア・ファシズムを思い起こさせる主張だ。

ヴァネッサ・へスラー
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イタリアの哲学者・歴史学者のベネデット・クローチェ(1866~1952年)は、
ファシズムの全体化傾向が学問に及ぶと、ファシズムに公然と異を唱えるようになり、全体主義から自由を守るということが彼の思想的中心命題となっていく。
クローチェは、少数によるエリート独裁主義であるファシズムを「まったく理解できない、混乱した宗教のようだ」と非難し「真実への愛、正義への熱望、人間としての寛大さと市民としての意識、知識と道徳的な教育への熱意、自由と前進するための強さ、保障への配慮こそが、近代イタリアの魂であるとの信頼が揺らぐことはありません」と語った。(倉科岳志『イタリア・ファシズムを生きた思想家たち――クローチェと批判的継承者』)

クローチェは、イタリアの内外で反ファシズムの象徴となり、自由を希求する人々の結節点となっていった。彼にとってファシズムとは政治的暴政にすぎないが、日本にもファシズムの構成要素である反民主主義的ナショナリズムや反知性主義の傾向が特に政治の世界で現れていることを強く危惧せざるをえない。
アイキャッチ画像は大衆に支持されるムッソリーニ
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