「ルバイヤート」でペルシアと日本を融合させたジャズ・ミュージシャン―ドロシー・アシュビー

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Translation / 翻訳

 アメリカのジャズ・ミュージシャンのドロシー・アシュビー(1932~86年)は、1969年11月から70年初にかけてアルバム「ドロシー・アシュビーのルバイヤート」を完成させた。アシュビーは、元々ジャズ・ハープ奏者だが、このアルバムでは日本の琴を使ってジャズの新しい境地を切り拓いた。構成する楽曲や演奏の一部は下のページで聴くことができる。
http://www.mossfad.jp/soul/Alb_DorothyAshby_Rubaiyat.html

ドロシー・アシュビー
https://jazzinphoto.wordpress.com/…/dorothy-ashby-1971-2/


 琴の演奏は「For Some We Loved」にあり、中東音楽のようなグルーヴ(ノリ)の中に琴の音色が入り込み、かつアフリカの楽器カリンバと合わせて、アジア、中東、アフリカ、アメリカを合わせたような独特の精神世界をかもし出している。世界の多様性が凝縮されるこのアルバムはアシュビーの作品の中で最も高い評価を得たアルバムの一つである。


 また、アルバムの曲の中には「Wine」「Dust」などがあり、酒や埃(ほこり)を用いて今を大切に生きよという無常観を表すルバイヤートの精神世界をそれぞれの曲のタイトルが表している。


地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面おも、星の額ひたいであったろう。
袖そでの上の埃(ほこり)を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女おとめの変え姿よ。(オマル・ハイヤーム/小川亮作訳『ルバイヤート』)


 男性優位なジャズ音楽界の中で女性のアシュビーには乗り越えなければならない壁があり、またアメリカ社会の中ではアフリカ系の人々(=黒人)に対する差別があった。さらに、ジャズの世界ではハープの演奏に関心があまりなく、アシュビーは「三重苦」にあったと回想しているが、そのことも人生を讃歌し、音楽のもつ喜びや、また宗教を超えた普遍的な愛を表象するハイヤームの世界に惹かれることになった。


人生はその日その夜を嘆きのうちに
すごすような人にはもったいない。
君の器が砕けて土に散らぬまえに、
君は器の酒のめよ、琴のしらべに!(小川亮作訳)


 琴も詠まれる「ルバイヤート」はハープ奏者のアシュビーの芸術的共感を生むものでもあった。アシュビーはそのアルバムでペルシアと日本の文化をドッキングさせたが、ハイヤームの「ルバイヤート」は日本人もよく理解できる精神世界である。それをアシュビーが知っていたかどうかは定かではないが、やはりルバイヤートを訳した陳舜臣は、彼の『ルバイヤート』(集英社、2004年)序文で「ルバイヤートは私の青春とともにあった。(中略)戦時中の仕事なので、とくに忘れられない。死生観について、日常のことなので、いつも考えていた。同級生たちは大部分がすでに戦地へ行っていた。そのような状況のなかで私はルバイヤートを、辞書を片手に、それこそ精読していたのである。(後略)」と書いている。


友よ明日を思い煩うなかれ
このひとときの楽しみをとれ
明日われらはこの古き住居(すまい)を去り
七千年の故人と共に旅をせん(陳舜臣訳)


春めぐり来て 世界に幸福あり
生きとして生けるものなべて沙漠を慕う
すべての枝 これモーゼの手
すべての風にキリストの息あり(陳舜臣訳)

「ルバイヤート」は私の青春とともにあった
https://ameblo.jp/bazarasu/entry-12114682547.html

アイキャッチ画像は「ドロシー・アシュビーのルバイヤート」
アマゾンより

イランの女優
ナーザニーン・バヤーティ
https://hidoctor.ir/…/%D8%A8%DB…/nazanin-bayati-photos1/
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