スペイン・トレド -異教徒たちがともに学術研究に取り組んだ町

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Translation / 翻訳

 スペイン中部にあるカスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都トレドは、西ゴート王国の首都だったが、712年に後ウマイヤ朝のイスラム支配に入った。このイスラム支配下では、ムスリム、ユダヤ教徒、クリスチャンが共存し、ムスリムはバグダードの「知恵の館(バイト・アル・ヒクマ)」から多数のアラビア語文献をこの町にもち込んだ。

トレド、2021年10月。


 「知恵の館」はアッバース朝第7代カリフのマアムーンが設立した学術・科学の研究所だった。ギリシアの学術科学の研究と文献の収集、翻訳を活発に行い、バグダードの翻訳家はカリフの支援や保護を受けて、当初はクリスチャンたちが、続いてムスリムたちが精力的に活動した。ギリシアのヘレニズム文化の影響はジュンディシャープールのイラン・ギリシア的な学問業績の蓄積とも相まって科学的研究を大いに前進させた。数学、天文学、物理、化学、医学などの分野で目覚ましい発展があった。

トレドのパエリア


 1085年にカスティーリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドを攻略してキリスト教支配を復活させたが、ムスリムの文化活動に寛容で、トレドはムスリムの学術研究の中心であり続け、またヨーロッパのクリスチャンたちの文化の核ともなった。クリスチャン、イスラム教徒、ユダヤ教徒が共同で「知恵の館」などからもたらされたアラブ・イスラム文献からラテン語への翻訳を行い、これによって中世ヨーロッパの学者たちの哲学・科学研究が容易になった。


 トレドの大司教であったドン・ライムンド(1152年没)は、1126年から彼が没するまでアラブ・イスラム文献の翻訳作業の支援を積極的に行ったが、彼はアリストテレスに関するアラブの哲学者たちの理解が重要であることに気づいていた。異なる宗教に属する人々が翻訳したのは、ギリシア哲学や科学だけでなく、イブン・スィーナー(アビセンナ:980~1037年)の『医学典範』は、ヨーロッパ中世の医学校のテキストとなり、またイブン・ハイサム(965~1041年頃)の『視学の書』はヨハネス・ケプラーの天文学にも影響を与えた。


 アルフォンソ10世(在位:1252~1284年)は、「翻訳研究所(エスクエラ・デ・トラドゥクトーレス)」をやはりトレドに設立するなど、学術・科学の保護者となり、その治世の下でもアラビア語文献の翻訳が行われ、ヨーロッパ・ルネサンスの基礎を築き、ヨーロッパ各地の大学はギリシアの古典をカリキュラムに取り入れることになった。

トレドの彫金もシリアから伝わった
https://en.wikipedia.org/wiki/Damascening


「トレド翻訳研究所」は1994年にカスティーリャ=ラ・マンチャ大学の一機関として復活したが、アラブ世界の文化を探求し、相互理解に役立つことを目的としている。文化の相互作用と発展は翻訳事業によって促進され、多様な文化、文明が交わり、相互に刺激し合うことが世界の科学や文化をいっそう高めることをトレドの歴史は伝えている。

アイキャッチ画像はトレドで。2021年10月。

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