ペルシアの涙壺と日本人の時間と平和

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Translation / 翻訳

 作家の五木寛之氏は、イラン・イスファハーンで小説「燃える秋」の物語の発端を思いついたそうだ。五木氏は、イスファハーンのバザールで「涙壷」という紫色の不思議な形をしたガラスの壷を購入したという。涙壷は、戦争に出た恋人や夫、また息子を偲んで、悲しむ女たちが涙を溜めた壷といわれている。

映画「時代屋の女房」より
夏目雅子と涙壺
http://sleepyluna.exblog.jp/2974529

 しかし、バザール商人の言い値で買った後、店の老主人から「あなたは急ぎ過ぎる。そんなに急ぐと大事な時間を失うことになる」といわれたという。この言葉にはイスラム世界の生活や時間に対する感覚と、商慣習の一端がよく表れている。

映画「燃える秋」より
北大路欣也と真野響子
http://www.city.fukuoka.lg.jp/…/film…/detail/607.html

 われわれ日本人は、忙しく生活することで、人生に大切なものを忘れてしまっていることをこのエピソードは教えている。読書や思索、また文化や芸術など情操を豊かにするための時間を私たちは失い過ぎてはいないだろうか。イスラム世界の商業活動も、ゆったりしたもので、バザールで売られている商品についての知識をもたないで購入することなど考えられない。日本人は、時間を気にし過ぎてせわしなく買い物をしてしまうが、ムスリムの価値基準から見れば、とうてい信じられぬことだろう。こうしたイスラム世界の商慣習も、キャラバンサライやバザールなどで実践されていたイランの商取引を思い起こさせるものだ。

大英博物館に展示されるイランの涙壺
http://blogs.yahoo.co.jp/ohkawa_jerusalem/23422362.html

 瀬戸内寂聴さんは、「愛する人と別れること、愛する人が殺されること。それが戦争です」と語るが、戦争に行った愛する人の無事の帰還を祈ってペルシアの女性たちが涙を溜めた涙壺のエピソードを思い出した。

 瀬戸内寂聴さんは2019年8月20日の朝日新聞で、「戦争を知らない政治家ばかりになった。戦争をしたら子どもや孫が引っ張り出される。その想像ができない。命ある限り、戦争の恐ろしさを伝えなければ」と語るが、政治家ばかりでなく、論壇でも徴兵制こそが平和を維持するなどと発言する国際政治学者がいるところを見ると、世の中全体から戦争に対する想像力が希薄になっているように思う。

瀬戸内さんは、日本が戦争に負けて正しい戦争だと信じてきた自分の愚かさを悟り、これが自身の「革命」だったという。

瀬戸内さんは、1991年の湾岸戦争では戦争に反対して釈迦の教えである「殺すなかれ、殺させるなかれ」という張り紙を寂庵(瀬戸内さんのお寺)に出し、8日間の断食をしてイラクに医薬品や牛乳などの支援物資を届けに行ったことがある。

 平和を希求する中で瀬戸内さんが口にするのは伝教大師・最澄の「忘己利他(もうこりた)」という言葉だが、「『もう懲りた』ではない」と冗談をいう中で、その言葉の意味を「自分の損得や幸せになりたい気持ちは置いておいて、他の人が幸せになって得をするように努めなさい」と説明する。アフガニスタンで活躍した中村哲医師などもこの「忘己利他」の実践者で、このような想いこそ平和を創造する力になると思う。徴兵制などではなく・・・。

アイキャッチ画像は http://nottin.exblog.jp/17935659/ より

イラン・イスファハーン
アーリー・ガープー宮殿
http://www.flickr.com/photos/mayhlen/8145859271/
イラン・イスファハーン
王(イマーム)のモスク
http://www.flickr.com/photos/morelcreamsauce/877508366/
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