伝統的井戸掘り技術で世界の飢えや渇きを救おうとした日本人

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 アフガニスタンやアフリカのサハラ南縁地域(サーヘル地帯)では干ばつで、水不足が伝えらえるようになっている。気候変動もその要因だが、減少した農地や水をめぐって紛争も起きるようになった。人の命の糧である水に注目してアジアやアフリカで井戸掘りの技術を指導する人材を養成する「風の学校」を主宰していた農学者の中田正一氏(1906~1991年)は、アフガニスタンの干ばつに心を痛め、アフガニスタンを水で潤すことを考えた。


 後にアフガニスタンで井戸を掘るようになった中村哲医師も技術的な指導を「風の学校」の出身者に仰いだほど中田正一氏の井戸掘り技術は優れていて、現地の人々にも掘削や維持が可能だという定評があった。


 中田正一氏は1963年にアフガニスタンに派遣されて農業指導に取り組み、農業技術カリキュラムを現地の小・中学校に普及することに貢献した。その業績については、メルマガ https://miyataosamu.jp/kazusabori-shoichi-nakata/ にも書いたが、78歳の時に千葉県に途上国に水を与える活動を目的とするボランティアを育てる「風の学校」を創設し、その地元に伝わる「上総(かずさ)掘り」で水不足に悩む世界の人々を救おうとした。

干ばつで砂漠化したアフガン東部ダラエ・ヌール地域のブディアライ村で、掘ったかんがい用大井戸におりていく中村哲医師(ペシャワール会提供)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/573914/


 上総掘りを生徒たちとともに習得し、発展途上国の人々が自力で水不足を解消する方法について考えをめぐらした。かつて農業指導で訪れたアフガニスタンが干ばつが深刻で砂漠化していることを知って心を痛め、1989年にモンゴル系のハザラ人に扮してアフガニスタンの潜入を試みて失敗したこともあった。アフガニスタンをはじめ途上国に必要なのは食糧生産のための水だと思うようになった。


 2000年にアフガニスタンの水不足を前にしてアフガニスタンで井戸を掘るようになった中村哲医師が技術面での支援を思いついたのも中田氏が主宰していた「風の学校」で、中村医師が中田氏の夫人に9月6日に連絡をとると、風の学校から井戸掘り経験が豊富で、西アフリカのセネガルで活動していた中屋伸一氏がかけつけてくれた。中屋氏がセネガルから飛行機でアフガニスタンに向かったのは、9月11日で、その行動の迅速ぶり、バイタリティーに中村医師も驚いているが、中村医師がアフガニスタンに千の井戸を掘ることができた背景にも「風の学校」の技術的な蓄積もあった。(中村哲『医者 井戸を掘る』2001年)

『石原さとみ アフリカ・ケニアへ 水で命を失っていく子ども達』で井戸掘り・水汲みに挑戦 (C)日本テレビ
https://www.oricon.co.jp/news/2077057/photo/1/


 中田氏は、本当の援助とは現地に行って、そこにあるものを使ってできることを現地の人とともに考える人を派遣することだと語っている。設備も道具もないからこそ工夫や知恵も生まれるというのが中田氏のモットーだった。ともに汗を流し苦労するから「助けることは助けられること」という思いに到達した。まさに「情けは人の為ならず」の世界だ。「風の学校」でも知りたいことがあれば、近所のお百姓さんにでも尋ねてきなさいというスタイルだった。中田氏が教えることを鵜呑みにするのではなく、自分で試行錯誤しながらモノを覚え、その経験を海外で実践しなさいというのが中田氏の考えだった。


 「わたしは『愛』の反対は『憎しみ』ではなく『無関心』だと思うんです。」という言葉に中田氏の国際協力の本質が表れている。
アイキャッチ画像はケニアの上総堀り
https://ameblo.jp/gospel-square/entry-10305676125.html

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