アメリカの人種的洗脳と戦ったピート・シーガーの「勝利を我等に(We Shall Overcome)」

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Translation / 翻訳

 強制力を用いて人の思想や主張を変えるという意味での「洗脳(brainwashing)」という言葉は、アメリカ人ジャーナリストのエドワード・ハンター(1902~1978年)が使用することによって定着するようになったと言われている。
http://www7.bbk.ac.uk/hiddenpersuaders/blog/hunter-origins-of-brainwashing/?fbclid=IwAR1ZdbUMLm_5qzGhdYAwi0T8oLX9x4yJuchlPXT3sfJPJEXYXfKaFzWH1Fg

 ハンターが明らかにしたのは特に中国共産党による洗脳技法であったが、洗脳という言葉は現在話題になっている「旧統一教会」のようなカルト集団の手法として「マインドコントロール」などとともに用いられている。しかし、洗脳という行為自体ははるかに古い時代からあったことに間違いなく、ヒトラーの大衆宣伝も、西洋の「魔女狩り」も「洗脳」と形容される行為だった。『欧米社会の集団妄想とカルト症候群』(明石書店)という本では「少年十字軍、千年王国、魔女狩り、KKK(クー・クラックス・クラン)、人種主義」なども集団妄想やカルト症候群の中に入れられている。

原作はKKKを描いている
https://stringfixer.com/tags/%E3%80%8E%E9%A2%A8%E3%81%A8%E5%85%B1%E3%81%AB%E5%8E%BB%E3%82%8A%E3%81%AC?fbclid=IwAR2E_LJrsMOzOTGOdjowLxSNxy4kMMhcBsoy_7GL9fkNZorDqtwT1LWZfIc
アメリカの女性作家マーガレット=ミッチェルが1936年に発表した『風と共に去りぬ』は大ベストセラーとなった。大プランターの娘で何不自由なく育ったスカーレット=オハラが南北戦争の激動のあらしの中で翻弄されていく物語であるが、ミッチェルは、解放された黒人がいかに狂暴に白人を襲ったか、それに対して白人が自己防衛のためにクー=クラックス=クランがどれほど必要であったか、を執拗なまでに語っている。小説の中ではスカーレットが危うく黒人にレイプされそうになり、夫たちがその復讐で黒人居住区を襲撃する話が出てくるが、その夫や同調した白人たちがクー=クラックス=クラン団員なのだ。小説ではその名前も出ている。しかし、1939年に映画化されたとき、このエピソードは描かれたが、スカーレットを襲ったのは白人のならず者とされ、クー=クラックス=クランの名前も一切でてこなかった。映画だけを見たのではわからないが、『風と共に去りぬ』のクライマックスはクー=クラックス=クランの登場だった。<映画でKKKが隠された経緯については、青木冨貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』1996 岩波新書 p.76 に詳しい。>
http://www.y-history.net/appendix/wh1203-068.html


 KKKはアメリカの白人至上主義の団体であり、そのメンバーたちは黒人や、黒人を支持する白人たちに対するリンチやレイプ、焼き討ちや放火、殺人など狂暴な活動を行っていった。日本でアメリカ映画の名作とされる「風と共に去りぬ」のマーガレット・ミッチェルによる原作では南北戦争で解放された黒人たちがいかに暴力的であったか、その暴力の制圧にはKKKがいかに必要であったかが描かれている。原作の小説の中ではスカーレットが黒人にレイプされそうになり、その復讐で夫たち白人が黒人居住区を襲撃する場面も登場するが、スカーレットの夫や、それに同調する白人たちも実はKKKであった。映画ではKKKの名称は一切出てこないが、『風と共に去りぬ』はアメリカ社会の矛盾を表す人種的偏見に満ちた作品だった。


 フォークソング歌手ピート・シーガーが編曲した「We Shall Overcome(勝利を我らに)」はKKKのような白人至上主義の論理や活動を打ち破ることを目的とする公民権運動の活動家たちに大きな勇気、希望、また効果を与えることになった。そこにはタイトルのように、必ず勝利するという約束や確信があった。公民権運動が広がる中で、この歌もまた普及していったが、簡単なフレーズの繰り返しは洗脳による偏見やヘイトに対抗するにも効果があった。


 1957年9月2日、マーティン・ルーサー・キング牧師とピート・シーガーはテネシー州の「ハイランダー・フォーク学校」を同時に訪問していた。この学校設立の目的は不当な法制に抵抗し、人種差別政策を改善するための活動家を養成することにあった。この日は、学校創設25周年で、ピート・シーガーはこの学校で知ることになった「We Shall Overcome(勝利を我らに)」を、バンジョーをもって初めて演奏し、キング牧師は公民権拡大を訴えるスピーチを行った。「We Shall Overcome(勝利を我らに)」は、キング牧師もその後口ずさむようになって、公民権運動の代名詞のような曲となり、全米で歌われるようになった。この歌の原曲は南北戦争以前にあったが、第二次世界大戦後にサウスカロライナ州のチャールストンの労働者たちが歌うようになっていた。

キング牧師の言葉
https://twitter.com/narutoj3/status/1292036464746696710


 そこからこの歌はハイランダー・フォーク学校にもたらされ、学校の音楽教師ズィルフィア・ホートンによって「We Will Overcome」という歌になり、ホートンからピート・シーガーに伝えられた。ピート・シーガーは「We Will Overcome」から「We Shall Overcome」にタイトルや歌詞を変えた。日本の受験英語ではwillよりもshallのほうが強い決意を表すとされているが、おそらくシーガーにもそのような意図があったのだろう。1963年にはジョン・バエズによってレコーディングされて公民権運動を代弁する歌としての認識がいっそう進んでいった。暴力的な団体の圧力にも屈しなかったピート・シーガーの勇気がアメリカ社会の変革に貢献したと言えるが、カルト団体の跋扈跳梁は人々や社会の勇気の欠如からももたらされるものであることは日本のカルトの様子からもうかがえる。「We Shall Overcome」のようなカルトを許容ない一致した声が求められている。


歌詞全体は下にあります。
「勝利をわれらに」
我らは勝つ
我らは勝つ
我らは勝つ いつの日か
心の奥で
私は信じる
我らは勝つ いつの日か
手に手を取って歩こう
手に手を取って歩こう
手に手を取って歩こう いつか
心の奥で
私は信じる
我らは勝つ いつの日か
我らは平和に生きる
我らは平和に生きる
我らは平和に生きる いつか
心の奥で
私は信じる
我らは勝つ いつの日か
我らは怖れない
我らは怖れない
我らは怖れない 今
心の奥で
私は信じる
我らは勝つ いつの日か
この世界中で
この世界中で
この世界中で いつか
心の奥で
私は信じる
我らは勝つ いつの日か
https://lyricstranslate.com
We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday
We shall hand in hand
We shall hand in hand
We shall hand in hand someday
(chorus)
We shall all be free
We shall all be free
We shall all be free someday
(chorus)
We are not afraid
We are not afraid
We are not afraid today
(chorus)
We are not alone
We are not alone
We are not alone today
(chorus)
The whole wide world around
The whole wide world around
The whole wide world around someday
(chorus)
We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday

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