フランス映画不朽の名作「天井桟敷の人々」(1945年制作・公開、日本公開は1952年)の脚本を書いたのは20世紀最大のフランスの民衆詩人と言われたジャック・プレヴェール(1900~77年)だった。プレヴェールは日本でもあまりに有名なシャンソンの名曲「枯葉」の詞を書いた人でもあった。プレヴェールの詩は平易で、わかり易く、『プレヴェール詩集』(岩波書店)の翻訳者の小笠原豊樹氏はその解説文の中で「親しいともだちのように微笑を浮かべてあなたを待っている」と書いている。下は「枯葉」の冒頭の部分だが、若い頃の恋の情感を思い出される方も少なくないに違いない。
あなたは覚えているかしら
仲が良かった幸せな日々を
あの頃は今日よりも 人生は美しく
太陽は明るかった
枯葉がシャベルに集められる
そうよ 私は忘れない
枯葉がシャベルに集められる
想い出も後悔も
そして 北風が運び去る
忘却の冷たい夜へ
そうよ 私は忘れない
あなたが私に歌ってくれた歌を
この歌は まるで私達のよう
あなたは私を愛し 私はあなたを愛して
二人一緒に暮らしてた
私を愛したあなた あなたを愛した私


https://twitter.com/ifjapon/status/1184399276819894273?lang=bg&fbclid=IwAR1RUREvVnjOdny4QG3ARTtaRDXOQAa-5mP4oQPRo21oN0xM-Q9HmzrAjKc
1900年に生まれたプレヴェールは、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ヴェトナムがフランスからの独立を目指したインドシナ戦争(1946~54年)、アルジェリア独立戦争(1954~62年)などフランスの数々の戦争に接した人生だった。戦争や破壊、抑圧に反対し、戦争の犠牲になる子どもや女性に対する同情を寄せ、貧しい人々に共感をもった。また、戦争の声なき犠牲者である動物や植物の味方をプレヴェールは自任していた。戦争に対しては厳しい批判の表現で、ロシアのウクライナ侵攻など戦争が絶えない現代の世界にも生きるメッセージを残している。
「戦争」(プレヴェール作)
「きみら木を伐(き)る/ばかものどもめ」「鳥はとび去り/きみらそこに残って軍歌だ/きみらそこに残って/ばかものどもめ/軍歌だ 分列行進だ。」
ウクライナに侵攻したロシアも、あるいは平和安保法制を成立させた日本も同様だが、武力を蓄え、軍事的に強力な国と同盟することによって平和が保たれると考える政治指導者が世界では後を絶たない。第二次世界大戦以降の世界の平和は核戦力の均衡の上に平和を成立させるという実に危ういものだった。その通り危ういことは、ロシアのプーチン大統領がソ連・ロシアが蓄積した核兵器を使用しないことはないなどと、核兵器で恫喝していることにも見られる。中東の産油国のサウジアラビアなどは平和を望むが自国は守ると言って最新鋭の兵器を買い漁り、イエメン紛争に介入して、40万人近い人々が亡くなった。武力による平和はそれを使いたいという欲求にかられることになり、戦争をより悲惨なものにする。

プレヴェールは“Si tu veux la paix, prépare la guerre”──「君が平和を欲するならば、備えよ戦争に」という危うい「積極的平和主義」を皮肉り、“Si tu ne veux pas la guerre, répare la paix” ───「君が戦争を欲しないならば、修繕せよ、平和を」あるいは「繕え、平和を」と訴えた。
そして彼は次のような言葉を残した。「踊れ、すべての国の若者よ。踊れ、踊れ、平和とともに。平和はとても美しく、とても脆い。やつらは彼女(平和のこと、平和は女性名詞)を背中から撃つ。だが平和の腰はしゃんとする、きみらが彼女(平和)を腕に抱いてやれば」。
https://ivory.ap.teacup.com/editorsmuseum/472.html
プレヴェールの代表的シャンソンにはやはりイヴ・モンタンなどが歌った「バルバラ」があり、バルバラという女性に呼びかけながら、先生の空しさや悲惨さを説く。
バルバラ(プレヴェール作 抜粋)
戦争のなんという愚劣さ
君は今 どうしているのか
この、鉄の
火の はがねの 血の雨のしたで
そして君をいとおしげに腕のなかに
抱きしめていたあの男は
死んだ 行方不明 いやまだ生きているのか
おお バルバラ
http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

コメント