中村哲医師が愛したバラの花 -愛の人には忍耐がある(ルーミー)」

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Translation / 翻訳

 映像や画像で接する、砂漠から緑化されたガンベリ砂漠では、きれいなバラが咲き乱れていた。福岡の追悼行事で接した関係者の話では中村哲医師はバラの花がとても好きだったということだった。

アフガンの緑もバラも美しい‼
https://blog.goo.ne.jp/oomutatyatomo/e/29f9412fdff48df41e980f9123466a28?fbclid=IwAR2Vg6emoUf60tn7-9M7QusNZPqGTAXzzcMAVAFc93-UduaZ6-3372Xv44w


 中村先生のPMS(「ピース・ジャパン・メディカル・サービス〔平和医療団・日本〕」に2010年に改称)が用水路を築いたガンベリでは「深い森が覆い、遠くで人里の音―子供たちが群れ、牛が鳴き、羊飼いたちの声が、樹々(きぎ)を渡る風の音や鳥のさえずりに和して聞こえる」(中村医師)そうだ。また、PMSの農場の中に約四万平方キロメートルの記念公園があり、バラ、ジャスミン、ザクロなど四季の花々が咲き乱れるようになり、全国からの訪問者が絶えなかったと中村先生は語っている。


 沙漠を緑野に変えたのは日本の治水技術だ。中村医師が行ったアフガニスタンの護岸工事には日本の川端柳の知恵も持ち込まれた。柳は護岸の素材である蛇籠の岩に根を張り川岸をさらに強化する。アフガニスタンに半永遠に生き続ける日本の伝統技術をもたらしたのはやはり中村医師の特筆すべき業績だ。多くの日本人に知ってもらい、澤地久枝さんが追悼の会のビデオ・メッセージに述べたように日本人として何ができるかを考えていきたい。

山田堰事務所で
2020年11月24日

 アフガニスタンでは、オレンジやザクロの花が咲く時期になると、伝統的な詩会が催されてきたが、PMSの記念公園の周辺にも約3万本のオレンジの木が植えられ、大干ばつで途絶えていたオレンジの詩会が復活することも期待されるようになった。四季の移ろいは、アフガニスタンの人々の情感をも育んできた。農業の復活は、詩作など伝統的文化のそれでもあり、経済的な貧困は精神的な乏しさではないと中村先生は述べている。アフガニスタンの人々には日本の俳句を詠む集まりである句会のように、詩を愛好する人々の間で詩会が催される伝統があった。緑地や農地の復活はそうした詩情を取り戻すことにもなった。

山田堰事務所で
2020年11月24日


 アフガニスタンでは国花であるチューリップや、バラなどたくさんの花をつける。バラも日本と同じように、春と秋に花を咲かせ、サフランなどと並んでケシ栽培に代わる商品作物としても考えられている。中村医師が活動していたアフガニスタン東部のナンガルハール州では、バラ油(ローズオイル)からバラの香水を製造し、その製品はドイツ、フランス、カナダなどに輸出されるようになった。


 アフガニスタン・バルフ出身の詩人ルーミー(1207~1273年)は次のような詩を詠んでいる。忍耐強くアフガニスタンの緑化活動に全力を傾注した中村先生の姿に重なるようだ。
ただじっと座って 待つことが忍耐なのではない
それは先を見通す力、全体像を描く力だ
棘をみながら薔薇の花を感じ
夜の闇の中で陽の光を感じる
愛の人には忍耐がある
彼は知っているから
月が満ちるには 時が必要なことを
(「詩 ルーミー Poetry of Rumi」のフェイスブック・ページより)

アイキャッチ画像は仏舎利塔を彷彿させます
ガンベリ記念公園の中村哲医師・記念塔
アフガニスタンでは様々な文化が融合してきました
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/642357

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