武力で「民主主義」はつくれない

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 1936年の二・二六事件から88年が経過した。政界が腐敗していると考えた青年将校たちによるクーデター未遂事件であり、その後政治は武力に屈するようになり、「敗戦」という破滅を招いた。
 軍部によるクーデターは、オリエント世界の現代史では1952年のエジプト革命、1958年のイラク革命、1969年のリビア革命などがよく知られるが、この地域では軍部が政治の実権を握るケースが多々あった。また、イランや湾岸アラブ諸国の王政も軍人や、武人(部族の首長)によって樹立されてきた。

アマゾンより


 武力で権力を握った者には、自らもまた力で倒されるのではないという猜疑心が強くなる。そのために、自らが信頼できる側近で周辺を固めることになり、自らの安全にしか注意が及ばず、国民の生活への配慮が乏しくなる。


 軍人、武人出身の政治指導者たちは、タテの指示・命令系統社会にしか慣れていなくて、民主主義の原理に不慣れであることも確かだろう。軍事知識は豊富でも、政治の常識にも疎く、自らの考えが絶対であるという錯覚に陥りがちである。湾岸の王族には欧米に留学しても、士官学校など軍事学校で教育を受けるケースが多く、行政などを学習するケースは多くない。


 中東イスラム世界の現状は力によって築かれてきた。数次にわたる中東戦争でイスラエルは占領地を拡大し、1982年にはレバノン侵攻を行った。イスラエルの流儀を踏襲したともいえるイラクのサダム・フセインは、1990年8月にクウェートを侵攻した。米国は2003年にイラクに「自由」や「民主主義」を実現すると言って戦争を行った。

1952年のエジプト革命 https://www.reddit.com/r/AskMiddleEast/comments/13eu2ec/thoughts_on_the_1952_egyptian_revolution_and_its/


 しかし、武力は「自由」や「民主主義」をもたらすものでは決してない。イラクでは、米国がシーア派主導の政府をつくり、スンニ派の官僚や軍人たちを排除したことが、「イスラム国(IS)」の誕生をもたらした。リビアでも、カダフィ政権打倒の「民主化要求運動」に欧米諸国が空爆で協力したが、リビアは二重政権状態に陥り、またISも台頭するようになった。軍人主導ででき上がったシリアのアサド体制は、民主化の動きを武力弾圧で封じ、シリアでは30万人以上とすら推定される犠牲者を出している。


 日本で軍事クーデターの可能性は客観的にはほとんどないが、しかし政治の閉塞感はどのような形であるにせよ、良いものとして決して現れない。いまの日本政治は裏金問題で機能不全に陥り、国民にとって重要な課題を忘れているかのように、不要な政争に明け暮れている。

アイキャッチ画像は二・二六事件の戒厳司令部
戦後「九段会館」になった
http://tainichihate.blog.fc2.com/blog-entry-164.html

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