日本とペルシアをつないだ陶芸家 ー加藤卓男氏

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Translation / 翻訳

 陶芸家の加藤卓男氏(1917~2005年)は、古代ペルシア(現在のイラン)陶器に魅せられ、日本文化とペルシアなどオリエント文化との融合に情熱を注いだ。1986年にトルコ・イスタンブールのトプカプ宮殿美術館にて個展を開くなどその作品を通じて日本とオリエントの懸け橋となり、1995年に国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

2004年4月
日本経済新聞
http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2004/07/

 「ラスター彩」とは「イスラム陶器の一。スズ白釉(はくゆう)をかけて焼いた素地(きじ)に銀・銅などの酸化物で文様を描き低火度で焼成したもの。金属的輝きをもつ。」(『大辞林』より)ということになる。「ラスター」は英語で輝きを意味するが、本場のイラン・イラクでは14世紀に、スペインなどでも17世紀以降消滅してしまった。

 そのラスター彩を日本で甦らせたのが陶芸家の加藤卓男氏で、彼の著書『三彩の道 奈良三彩の源流を探る』(学生社、1989年)によれば、ペルシア陶器が「西方陶器の白眉」と称されるのは、古代オリエントやササン朝ペルシアの伝統を踏襲しながら、ローマやユーラシアの周辺諸民族の文化的要素を採り入れ、さらに中世以降は中国の先端の技法を吸収し、いっそう発展していったことにある。

 ササン朝の王族たちは、7世紀にアラブ・イスラム軍に征服されると、貴族、芸術家、宮廷の楽人、舞踏家ら引き連れて、およそ4000人が中国の唐も都である長安に移住し、華麗なペルシア文化は「長安の胡(中国の西方民族、この場合は特にペルシアを指す)風」」とも形容され、長安の貴族文化をつくりあげていった。胡風文化をつくったのは、ペルシア(イラン)人の音楽家、武道家、工芸家、工匠などであった。

マヨリカ+ラスター彩のお皿
http://www.geocities.jp/fbyyf5/sekai-kougei-shippou.html

 長安でいかにペルシア文化への憧憬があったかは、下の李白の詩の中にも表れていると加藤氏は述べている。

「胡姫の顔(かんばせ)は花のごとく

 素手もて客を招き春風に笑う(後略)」

 加藤氏は、古代ペルシア陶器に魅せられ、日本文化とペルシアなどオリエント文化との融合に情熱を注いだ。ペルシアで生まれたラスター彩は20世紀の日本で再現された。経済の相互依存関係もそうだが、歴史上における文化の交流や融合を想い起すと、ウクライナ戦争など国家と国家の対立がちっぽけなものに見えてくるし、日本とペルシア(イラン)をつなごうとした加藤氏の業績や熱意などを思うにつけ、日本はその資産であるイランとの友好関係を維持してほしい。

アイキャッチ画像は

加藤卓男氏 青釉山羊文飾花器 「鳥想」
https://www.ipopam.com/tag/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%8D%93%E7%94%B7?fbclid=IwAR1PzBasciMhEVTxDTEbGEcTNptZ1SY-zEZwlUOTM-f7hfZ3jes6vpzEP-o

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