
福岡市
https://www.dw.com/en/japans-ukraine-refugee-policy-criticized-for-putting-politics-over-human-rights/a-61950343?fbclid=IwAR34EB3bzzQc57KNUJXDU7BuXF_acCgogi8Sz_iAJH7CK6wv81WjuFrUZCQ
6月20日は、2000年に国連総会で定められた「世界難民の日」で、報道番組で日本のウクライナ避難民とアフガン難民の受け入れの相違について扱われていた。
『日経ビジネス』に「ウクライナ避難民だけなぜ ミャンマーで日本への失望」という記事が昨年4月13日付で掲載された。「ウクライナ人は日本に行けるのに、なぜ私は駄目なのか」という声も聞かれるのだそうだ。また日本は国軍政府に対する厳しい姿勢に及び腰で、さらにミャンマー難民に厳格な日本の姿勢は東南アジアにおける日本の立場を危うくするとも紹介されている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC113ZV0R10C22A4000000/
この「ウクライナ避難民」と他の「難民」との区別について国会で議論となった気配は、インターネットで検索する限りは見られない。難民に対する不公平な扱いや難民認定率の低さは国際社会における日本のイメージの低下を招くもので、入管法改正でさらに難民に対するハードルが高くなった。
最近、とある医療機関でそこの関係者と話をしたところ、アフガン難民は困るけれど、ウクライナの人々は受け入れてもよいという発言に接した。アフガニスタン人には「テロ」「物騒」というイメージがわくらしく、911の同時多発テロや、タリバンの厳格なイスラム支配と結びつけて考えられてしまうらしい。

幼稚園教諭養成コースで、作ったものを見せてくれる生徒たち。
https://donation.yahoo.co.jp/detail/776010/
2019年夏にロヒンギャの人々が多く生活する群馬県館林市を訪れたことがあったが、そこで会った難民申請を行っているロヒンギャの男性は、日本では難民認定されないばかりか、2年余りも茨城県牛久市の入管施設に収容されていたと嘆いていた。入管の職員からは本国(=ミャンマー)に帰還するように促されたが、ロヒンギャが出身地に戻ればどういう扱いを受けるか、入管の職員たちはまるでわかっていないと憤りも露わに語っていた。
難民のような弱者の救済は世界のあらゆる宗教でも説かれる、尊重されるべき普遍的な価値、行為だろう。
日本人にはイスラムが怖いという先入観があるのかもしれないが、ロシアの文豪トルストイ(1828~1910年)は、イスラムに敬意もち、ムスリムは困難な時に同胞を救い、他者への思いやりによって、その教えを広めたとも書いている。トルストイによれば、イスラムには平和への希求があり、謙遜を好み、流血を避け、自己犠牲を考える宗教である。その教えは他の宗教と同様に、真理に至るもので、正しいことを行うように説き、誤ったことを避けるように求める。クルアーン(コーラン)の教えは、真理や、正しさ、理性と合致するからこそ広まったとトルストイは述べている。
特に欧米で見られる難民、あるいは他の人種を排除する考え方は本来のキリスト教が説くところとは異なる。以下はキリスト教の弱者救済の考えである。
「イエスはこの世に生を受けたすべての人間を裁き、神の国へ入国させるか否かを決めるのであるが、そこでイエスはこの世では自らを小さい・弱い・貧しい者に身をやつしていたといい、その『私が餓えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた』人たちは、正しい人として神の国に迎え入れることを許して、永遠の命を与えられるようにし、(中略)正しい人として生き神の国へ入ることを許されるようにするためにはイエス=神=小さい・弱い・貧しい者に救済の手をさしのべる生き方をとるべきことを説いているのである。」
http://www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol4504_04.pdf
イランの太陽神ミスラ(Mithra)は、56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという弥勒(みろく)菩薩の語源になっているという。(平凡社世界大百科事典)またトルストイが強調する正しいことを強調するイスラムの教えは、仏教の八正道にも通じるものがある。日本では農業や漁業など日本人だけではすでに成り立たなくなった産業分野もあり、政府や政治家たちは難民たちを日本の産業構造の中に取り込むことを視野に入れるべきだ。

恥ずかしい
入管法改正案への反対を訴えるデモの参加者たち=2021年4月21日午後、東京都千代田区、鬼室黎氏撮影
「世界難民の日」はユーラシアの文化、習慣、また宗教のつながり、また現在のグローバルな国際社会の構造を確認する機会でもある。
すべての宗教は、同じ一つの歌を歌っている
相違は幻想と空虚に過ぎない ―ルーミー
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