あまり知られていないが、有名なピート・シーガーの反戦歌「花はどこへ行った」は、ミハイル・ショーロフの小説「静かなるドン」で紹介されるウクライナ・コサックの民謡をヒントに作られた。

341分の映画だそうです。原作も長編ですが・・・。
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_1_7a53bc5f-4554-11e8-82a3-fbb52deff1d6.html?fbclid=IwAR0E9BOYPT_OLmaAckDh_J9TAmgb_SiIGNwXuS2b2VA3QhNe6Gm4YiyKwkU
その歌は、
葦の葉はどこへいったの? 少女たちが刈り取った
少女たちはどこへいったの?少女たちは嫁いでいった
どんな男に嫁いでいったの?ドン川のコサックに
そのコサックたちはどこへいったの?戦争へいった
というものだ。
ピート・シーガーの作詞作曲による「花はどこへ行った」は、「花はどこへ行った 少女が摘んだ」、「少女はどこへ行った 男たちのもとへ嫁いでいった」、「男たちはどこへ行った 兵士となって戦場へ行った」、「兵士はどこへ行った 死んで墓に入った」、「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、戦争を連鎖のように繰り返すことの愚かさを訴える。シーガーのこの曲はベトナム反戦の想いを込めてキングストン・トリオなど多くのアーティストによって歌われたが、その後も1994年のリレハンメル・オリンピックのフィギュアスケートでカタリナ・ヴィットがこの曲をバックにボスニア和平への願いとともに、フリーの演技を行うなど反戦や平和を願う代表的な曲となっている。ヴィットはボスニアの首都サラエボで1984年に開催されたオリンピックの金メダリストであった。
コサックは「群れを離れた者」「自由人」などという意味のトルコ語から派生した言葉で、ウクライナ南部のステップ地帯から発展した。もともと狩猟や釣り、蜂蜜を集めるなどして暮らす勇猛な男子の集団を指していた。コサックには農奴制から逃亡した農民や貴族制の中で自由を渇望していた人々が多かった。コサックたちは16世紀半ばまでには独特のラーダという意思決定の集会をもつ合議制に基づく軍事集団を形成していた。

コサックは、ウクライナの辺境にある人々をタタールの侵入から守り、またクリミア半島に進出したりした。ポーランドの王政はコサックをタタールやオスマン帝国、ロシア・ツァーリとの戦争のために利用したが、次第に王国に対する脅威と見なすようになり、コサックの人数制限などを試みるようになると、コサックはポーランド王国に対して反乱を起こすようになったが、王国に制圧されていった。しかし、その制圧は決して容易なことではなかった。

https://sites.psu.edu/sdatskopassion/2019/04/04/national-dance-of-ukraine/?fbclid=IwAR1UnFcn2iwXw9dd5YB1RXdfrHjnZG-mzgXgRh3vcDQsMdEeogfSIBWClU0
勇猛なコサックだったが、為政者の権力維持の道具として使われたのは、まるでプーチンとロシア兵の関係のようだ。冒頭のコサックの民謡も、シーガーの「花はどこへ行った?」と同様に戦争の虚しさの輪廻を表している。
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