対イスラム世界交易で発展した「水の都」ヴェネツィア

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Translation / 翻訳

 ヴェネツィアはユスティニアヌス帝(在位527~565年)時代以来、ビザンツ帝国の支配を受け、次第に独自に選出するドージェ(頭領)を頂く港湾の都市共和国(コムーネ)として発展していった。そのドージェの政務庁であるドゥカーレ宮殿もまたイスラム様式のベランダなどの造りとなっている。

ドゥカーレ宮殿
イスラムの建築様式


 ヴェネツィアとイスラム世界の交流はエジプト・アレキサンドリアとの交易によって8世紀に始まり、ヨーロッパに中東イスラム世界の絨毯や絹、香料、陶器、真珠、水晶、貴金属などが東方のイスラム世界からもたらされた。イスラム世界との通商がなければ、「Serenissima(セレニッシマ、「最高に晴れている」という意味)」と愛称で形容されるほどのヴェネツィアの発展はなかった。

サン・マルコ広場には新郎新婦がいました


 1453年にオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼすと、ヴェネツィアの地中海交易の直接の相手はオスマン帝国となったが、オスマン商人たちは頻繁にヴェネツィアを訪問するようになり、中には帝国政府の高官たちもいた。短期間ながら両者が対立する時期もあったが、オスマン帝国とヴェネツィアは地中海世界で平和裏に共存していた。


 また、現在残るイタリア語の言葉「divanoソファー」「albicoccaアンズ」「limoneレモン」「zeccaミント」などの言葉はアラビア語起源である。

ガラス工芸もアラブ・イスラム世界がもたらしたもの


 ヴェネツィアは、ヨーロッパの印刷や出版の中心となり、アラビア語からラテン語、イタリア語に翻訳された学術書が印刷されたが、その中にはイランの医学者イブン・スィーナーの『医学典範』、また12世紀コルドバの哲学者イブン・ルシュドのアリストテレスの著作への注解も含まれていた。こうした印刷された書物がヨーロッパの学芸の発展に寄与したことは言うまでもないが、イスラムの聖典『コーラン(クルアーン)』もヴェネツィアの印刷所で1537年から38年にかけて最初に印刷された。

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宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会

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