日本人抑留者を称えるウズベキスタン人

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 ウズベキスタン・タシケントにあるナヴォイ劇場を建立した日本人抑留者のエピソードについては『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』(新潮新書、2014年)などで紹介したが、これが大変な労働であったことは現地のウズベキスタンの人々もわかっていたらしい。抑留者たちは一日300グラムの黒パンと薄いスープで労働していたが、現地の人々が収容所の柵からパンと果物を差し入れすると、数日後には同じ場所に抑留者たちが造った木製の玩具が置かれ、日本人は礼儀正しい、恩を感ずる人々だなどという評判が定着した。

2014年 ウズベキスタン・タシケントで


 ウズベキスタンのイスラム・カリモフ前大統領が「子どもの頃母親に連れられて、毎週末日本人の収容所に行った。そして、そのたびに同じことを言われた。『ごらん、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。日本人と同じように 人が見ていなくても働く人間に必ずなりなさい。』と。その母親の言いつけを守ったら大統領になれた。」と語ったというエピソードもある。


 タシケント市内で電器関連会社を経営するジャリル・スルタノフ氏は、幼い頃からナヴォイ劇場を建設した日本人の抑留者の話に触れ、1998年に日本人抑留者たちの業績を伝えようと、自宅に私財を投じて「日本人抑留者記念館」を開設した。展示品には、抑留者たちが使用したスコップや手作りのスプーン、ハサミなどの生活用品や、ウズベキスタン人に贈ったゆりかごなどが展示されている。スルタノフ氏は、展示品から抑留者たちが実に様々な職業的背景をもっていたことや、日本人の慈悲や情愛、思いやりの心がわかるので、日本人がウズベキスタンを訪問したらぜひ訪ねてほしいと語っている。

2014年ウズベキスタン・タシケントで


 抑留者たちは、ナヴォイ劇場だけでなく、現在でもウズベキスタンに残る重要な施設の建設や高圧の送電線の敷設など危険な仕事にも従事していた。ウズベキスタン(ソ連ウズベク共和国)には約25,000人が極東から移送され、過酷な労働によって812人が亡くなっている。


 日本の外務省は、スルタノフ氏が日本とウズベキスタンの友好関係の促進や、相互理解に貢献したとして平成27年度外務大臣表彰を行っている。

2002年7月抑留者の墓地で


 スルタノフ氏は2018年10月にも抑留者たちが引き揚げてきた京都府舞鶴市を訪れ、高校生や小学生に、「歴史の現場を見に私の国を訪れて」と呼びかけた。

アイキャッチ画像は

日本人抑留者ゆかりの展示品が並ぶ資料館で、展示品の説明をする館長のジャリル・スルタノフさん=ウズベキスタン、タシケントで2015年8月9日、垂水友里香さん撮影
https://mainichi.jp/articles/20150910/mog/00m/030/006000c

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