中村哲医師が銃撃されて亡くなってから4日で2年になる。彼が築いた用水路は福岡市の面積のほぼ半分の1万6500ヘクタールの土地に水を与え、砂漠を緑地に変えた。この用水路の恩恵を受ける農民は65万人とも見積もられる。
2日に退任式があったドイツ・メルケル首相の言葉に「意志あるところに、道は開ける」というものがあったが、戦乱のアフガニスタンで広大な緑地の再生を実現した中村医師の活動はまさにメルケル首相の言葉のようだった。
中村医師は「平和。人間同士の思いやり、理解、いたわりによってつながるいのち」という表現によってアフガニスタンの和平構築への想いを伝えたが、平和も、人間同士の思いやりも本来イスラムの教えが説くもので、彼の理念はイスラムを信仰するアフガニスタンの人々によく伝わったことだろう。
中村医師は、アフガニスタンで穀倉地帯を広げるのではなく、広がるのを助けたいと語る。アフガニスタン人の自助努力を支援するスタンスこそ必要で、日本の技術を教え、伝えるのはまさにその理念の通りことだ。現地の人々の自助努力を重んじるところは、武器・弾丸で「民主主義」を押しつけようとしたアメリカの対テロ戦争とは対極にあるものだった。

アフガニスタンの子供たちと
中村哲医師は、「タリバンが天下を取ろうが反タリバン政権になろうが、それはアフガンの内政問題なんですね。そのスタンスさえ崩さなければ、我々を攻撃する連中なんかいませんよ。それどころか、政府、反政府どちらの勢力も、我々を守ってくれるわけです。」と述べているが、まさにその通りである。米国もそうだが、アフガニスタンではイギリス、ソ連による外国の干渉はいっそうの社会的・政治的不安定をもたらしてきた。
アメリカなどの軍事介入を嫌い、「最近はテロリストという言葉の響きが変わってきまして、政治目的を達成するためには罪もない人を巻き添えにするということがテロリズムの定義とするならば、欧米諸国の軍以上のテロリズムはないんじゃないかと私は思います。」とも語っていた。米軍との集団的自衛権を認めた日本の安保法制はそのテロリズムにつき合うものではないかという危惧を中村医師は常々口にしていた。
一橋大学の元教授の清水学氏が『孫子』のエッセンスである「己を知り敵を知れば百戦危うからず」の前提となるのは「自分の国益を外部から影響を受けずに主体的に判断する国である」と述べている。清水氏は集団的自衛権で主体性なく、戦争に関与すれば、己の統制が効かない高い危険に巻き込まれていくことになると主張する。

「ナカムラ」と名付けられた赤ん坊
日本は中東の内政に干渉することなく、中村医師のペシャワール会、あるいはJICA、青年海外協力隊、国際交流基金、さらにはさまざまな分野のNGOなど地道な活動や努力で中東地域での信頼を得て、それが日本人の安全を高めてきた。日本人に武装集団の危害が加えられたのはイラクやシリアでも、日本が米国の軍事行動に協力したり、それへの支持を鮮明にしたりした時だ。
アフガニスタン、イラク、シリア、リビアなど米欧諸国が軍事介入した国は紛争や暴力が席巻するようになった。中村医師の主張や活動、あるいは『孫子』の兵法は、日本が中東イスラム世界との関わりであらためて知るべき教訓だろう。
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