アメリカのポップ音楽を偉大にしたイスラム系音楽プロデューサー 

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 トランプ大統領は、2020年6月10日、南北戦争の南軍に由来する基地の名前を残すと表明した。その理由は南軍に由来する名称が「偉大なアメリカ」の遺産であり、勝利や自由の歴史であるからだという。ノースカロライナ州にあるフォート・ブラッグ基地は、5万人以上の職員が務める世界最大の軍事施設だが、この名前は南軍のブラクストン・ブラッグ将軍(1817~76年)に由来する。ブラッグ将軍は米墨戦争(1846~48年)を戦ったが、これはアメリカの植民地主義・侵略戦争であり、とても「偉大な遺産」とはいえない。また、彼は南北戦争以前にはルイジアナ州で黒人奴隷を使役する砂糖農場を経営しており、とても「自由の歴史」のシンボルと言うことができない。

https://www.discogs.com/Bee-Gees-%E3%83…/release/12294032

トランプ大統領は、アメリカにおける白人のクリスチャンの歴史を重んじたが、アメリカのジャズやリズム&ブルースなどポップ・シーンに大きな影響を及ぼしたのは音楽プロデューサーで、アトランティック・サウンドに大きな足跡を残したトルコ人のアリフ・マーディン(1932~2006年)だった。マーディンもまたオスマン帝国の貴族階級の出身だった。父親はカイロのトルコ銀行に勤務していたが、マーディンが10歳の時にドイツ軍の空爆に遭い、難を逃れた家族はトルコに戻った。

 しかし、マーディンは幼い頃からジャズに夢中になり、また母親も彼のピアノ演奏の上達を後押しした。アメリカ国務省は1950年代半ばにジャズ・ミュージシャンたちを世界各地に送るようになったが、その機会の中でマーディンは1956年にトルコの首都アンカラでディジー・ガレスピー、クインシー・ジョーンズの演奏に接し、ガレスピーに自らが作曲した楽譜を見せると、その才能が認められた。彼は「クインシー・ジョーンズ奨学金」を得て1958年に渡米し、ボストンのバークリー音楽大学で学んだ。

ディジー・ガレスピー
https://www.musicair.co.jp/dizzy_gillespie_california/

 1966年にはラスカルズの「グッドラヴィン」のプロデュースをして全米NO1に輝いたが、この音楽を手がけるまでジャズしか聴いたことがなかったと告白している。8トラック・レコーディングが開発されたことでマーディンはアレンジの面白さを知るようになり、マーディンは、ベット・ミドラー、バーバラ・ストライザンド、ビージーズ、ディオンヌ・ワーウィックやチャカ・カーンなど数々の大物アーティストの音楽をプロデュースし、アメリカのポップ・シーンに多大な貢献をした。

Bette Midler – Jackpot: The Best Bette (cd) : Target

 2000年にアトランティックを去ると、EMIレーベルに移籍し、マーディンがプロデュースしたノラ・ジョーンズの“Come Away With Me”は世界で2700万枚の超ベストセラーとなるなど、史上最も成功したプロデューサーとも形容されるほどになった。

 アメリカの自由に貢献し、その音楽文化を偉大にしたのは、トランプ大統領が嫌うマーディンのようなイスラム系移民で、イスラム世界の感性もまたアメリカの音楽を豊かにしていった。

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