トルコとクルド ―イスタンブール・テロ

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Translation / 翻訳

経験が私たちに教えてくれたこと。それは、愛するとは我々が互いを見ることではなく、共に同じ方向を見つめることなのである。(― サン=テグジュペリ)

 13日、トルコ・イスタンブールのイスティクラル通りで爆発があり、6人が死亡し、81人が負傷した。(アルジャジーラ)

 トルコのスレイマン・ソイユ内相はトルコのクルド人武装勢力の「クルド労働者党(PKK)」による犯行だと語った。イスタンブール警察は事件に関連して46人を逮捕し、爆弾を置いた女性のアフラーム・アルバシール容疑者はシリア国籍だと明らかにした。

 PKKは事件への関与を否定する声明を出しているが、いずれにせよトルコとクルド人武装勢力の戦いは継続している。現在、トルコに住むクルド人は1700万人、全人口の20%と見られている。

第一次世界大戦によってオスマン帝国が敗れると、1920年8月のセーヴル条約はオスマン帝国領に住んでいたクルド人の自治の付与を約束したが、セーヴル条約はトルコの大幅な領土の喪失を認めるものであったため、ムスタファ・ケマルは国民軍を率いてこの条約の撤回を求めてギリシャ軍などと戦って勝利し、1923年7月にローザンヌ条約が成立し、結局クルド国家成立の夢は潰えることになった。

ケマル・アタチュルク(ムスタファ・ケマル)は、トルコはトルコ人のみによって構成されるというナショナリズムに基づく「トルコ民族国家」を強調し、クルド人のクルド人のアイデンティティーを抑圧するためにクルド人の学校、結社、出版活動を禁止した。トルコ南東部のクルド人地域はイスタンブールやアンカラなどトルコの主要都市に比べると貧しく、インフラ整備も十分ではなく、1970年代になると、社会主義思想に基づくPKKは経済的平等とクルド人のナショナリズムに訴えて武装闘争を開始した。

トルコはクルド人の武装闘争を警戒し、シリアにまでクルド人に対して軍事行動を行うようになっている。シリアのクルド人人口は200万人前後で、シリア全人口の10%程度と見られている。トルコ内務省はイスタンブールでの爆破テロは、トルコ軍のシリア北部コバニのクルド人武装勢力への攻撃への報復だと考えている。トルコ軍はシリアの武装勢力YPG(クルド人民防衛隊)はPKKの姉妹組織と見なしている。トルコ軍はシリア、イラクのクルド人指導者たちをドローンによる標的殺害を行っている。

トルコもまた反体制武装勢力の殺害と、テロによる報復という悪循環に陥っている。テロの抑制にはある程度クルド人の自治を認め、クルド地域の貧困撲滅など経済や福利の向上が必要だが、クルド人武装勢力に対して武力以外の対応が視野にないところにトルコのクルド人問題の根深さがある。クルド問題もパレスチナ問題と同様に英仏の帝国主義がもたらした中東の「解のない方程式」だが、英仏がその改善のために道義的責任を負っていることはまぎれもない。

「その気があれば理解せよ」―ポール・エリュアール

その気があれば理解せよ 私の悔恨、それは

舗道の上に取り残された その不幸な女性

服を破かれた 思慮あるその犠牲者 迷子になった子どものようなまなざし

(訳 村野瀬玲奈)

アイキャッチ画像は https://wired.jp/2021/02/10/jin-jiyan-azadi/ より

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