民主化を模索するチュニジアと東北被災地との交流 ー石巻市

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 宮城県石巻市は、桃生町(ものうちょう、2005年に石巻市に合併)に一人の東北大学のチュニジア人留学生アミーラ・マーヘルさんが1992年に、桃生町の町長となる平塚義兼氏の自宅に宿泊したのがきっかけにチュニジアとの交流が始まった。マーヘルさんと平塚氏は気脈が通じたようで、彼女の兄さんが日本のチュニジア大使館に勤務していたこともあって、桃生町とチュニジアの交流は発展していった。

石巻市支援に向かったチュニジア大使館の車両
https://mag.sendenkaigi.com/…/embassy-visit/002646.php


 1997年に桃生町は、チュニジア大使の訪問を機会に整備中の町道を「チュニジア通り」と命名した。また、2000年9月にはローマ帝国と戦ったチュニジアの都市国家「カルタゴ」にちなんで「カルタゴ通り」も現われ、さらに2001年9月にチュニジアにちなんだ3番目の通りとして「ジャスミン通り」の命名式がサラ・ハンナシ大使出席の下に行われ、チュニジアを代表する花であるジャスミンの苗木が大使から桃生町に寄贈された。ちなみに、2011年1月に独裁者のベン・アリー大統領の政権を打倒した革命は通称「ジャスミン革命」と呼ばれている。


 そのわずか2カ月後に石巻市は東日本大震災に見舞われたが、震災による直接死が3、256人、間接死が234人、行方不明が451人という甚大な被害を出した。駐日チュニジア大使館は、在日チュニジア人らが中心になって大使館主催のチャリティー・コンサートや、大使公邸でのレセプション・パーティーでの収益を通じて被災した石巻市に義捐金を募るようになり、2011年4月15日には石巻駅前の「にぎわい交流広場」でクスクスなどチュニジア料理の炊き出しを行った。炊き出しを行ったモハメッド・トベルシ駐日臨時代理大使は「石巻市が美しい街として復活することを信じる」と被災者たちを激励した。

ワシントン報道博物館
2014年3月


 2015年にチュニジアの「国民対話カルテット」がノーベル平和賞を受賞すると、翌年石巻市ではそれを祝うイベントが開かれ、出席したカイス・ダラジ駐日チュニジア大使は「お互い大きな困難に遭ったが、それが共感を呼び団結が生まれている。今後も親交を深めていきたい」と決意を述べた。(共同)


 石巻市は、東日本大震災の被災自治体が支援の手を差し伸べた国と、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて交流し、東北の復興をアピールする「復興『ありがとう』ホストタウン」となり、チュニジアチームのサポートを行うことになった。
 石巻市とチュニジアの交流は、日本の地方社会による国際交流の見事な手本となり、石巻市を大いに元気づけることになっている。
アイキャッチ画像はチュニジアパラ委 ホストタウン訪問 事前合宿地視察で好印象
歓迎に感動 実現へ前向き 石巻の児童と交流
https://hibishinbun.com/news/?a=9622

チュニジア通り
http://www2.plala.or.jp/…/07miyaginoomosirozoukeibutu.html
https://ameblo.jp/u1ch/entry-12245620325.html
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