ロシアの作家トルストイには山岳民族でイスラム教徒の英雄ハジ・ムラートを描いた作品(文字通り『ハジ・ムラート』1904年)があり、この作品には「自己防衛の口実の下に(攻撃はいつも強国からひき起こされるにもかかわらず、あるいは野蛮な民族は文明化するという口実の下に(その野蛮な民族は文明化する者たちよりも比較にならないほどよい、平和な暮らしをしているというのに)、あるいは他の何らかの口実の下に、巨大軍事力の国家の召使どもは弱い民族にたいしてありとあらゆる悪事をおかす、彼らにはこうするより他に手がないとうそぶいて」というくだりがある。現在のロシアによるウクライナ侵攻を表すかのようだ。
トルストイは、ロシアよりも弱小な民族を暴力で蹂躙するロシア帝国主義の暴力への批判をにじませた。現在のロシアによるウクライナ侵攻に対しても言い得る想いが描かれている。主人公のハジ・ムラートは、礼儀正しく、勇敢であり、ロシアの兵士たちも惹かれる人物として描かれ、また作品の中ではロシア軍の残虐行為に蹂躙されるチェチェン人の悲嘆が表現され、トルストイのコーカサス(カフカス)の民族に対する敬意が表現される。
トルストイにはコーカサスの女性に対するロマンチシズムもあり、「ぼくの状況でなによりも恐ろしくかつ甘美なのは、ぼくは彼女を理解しているが、彼女のほうはぼくを決して理解しないだろうという思いだ。彼女がぼくより劣るから理解できないのではなく、逆に、彼女はぼくなんか理解すべきでないのである。彼女は幸せだ。自然と同様に、淡々として落ち着き、自足している」(トルストイ『コサック―1852年のコーカサス物語』乗松亨平訳〔光文社古典新訳文庫、2012年〕271ページ)とも書いている。北カフカスの女性たちの美しさは欧米ではヴォルテールなどによっても描かれてきた。
トルストイとは真逆にコーカサス民族に対するロシアの否定的伝統がプーチン大統領にはあるようだ。ウクライナ戦争の兵員動員の対象の重点としてコーカサスの民族が考えられている。コーカサスでは、ムスリムの若者たちが威嚇や生活苦からプーチン大統領の動員令に応ぜざるを得なくなっている。
ロシアのコーカサス地方は中央政府がその発展に関心を寄せることが少なく、投資や産業に著しく欠ける状態だ。コーカサスの住民たちは、仕事はロシア人が多数の地域でしか見つけることができないと嘆いている。特に北カフカース連邦管区はロシアでは最も貧困な地域で平均賃金が月額200ドルくらいとも見られるほどで、ロシア政府は徴兵した兵士に対しては月額2000ドル余りを与えることを約束している。
22年10月8日、チェチェン共和国のカディロフ大統領は7万人のチェチェン人をウクライナ戦争に投入することを明らかにした。すでにチェチェン人1万人がウクライナで戦っていると見られているが、チェチェン人がウクライナの戦争に参加するのはカディロフ大統領への忠誠を示し、より高い俸給を得たり、チェチェン共和国の中での良い地位や職に就いたりするためだ。
高い給与、地位、職で動員をかけてもチェチェンでは、チェチェン戦争に見られたように、ロシアに対する民族的な憎悪がくすぶっている。ウクライナ戦争で動員を強制されたことに対する恨みからロシアが弱体化することがあれば、ロシアに対するテロが発生していくことも否定できない。
国連総会は22年10月12日、ロシアによるウクライナ4州の「併合」を「違法で無効」とする決議を賛成143カ国、棄権35カ国、反対5カ国で採択した。国連はロシアのウクライナ侵攻のように、安保理常任理事国である超大国の思惑から離れることができなかった。そのためもあって、国際刑事裁判所(ICC)が発足し、アフリカの独裁者の罪などを裁いてきた。ロシアのウクライナ侵攻についてはICCがずっと捜査を行い、日本からも2人の検察官が派遣され、捜査協力を行っている。ICCが国連の機能不全を補完する役割を担い、国連の常任理事国による人権侵害に対しても抑止的役割を果たすことを願うばかりだ。

https://www.pinterest.jp/pin/2744449751594615/


チェチェン共和国首都グローズヌイで

https://www.istockphoto.com/jp/%E5%86%99%E7%9C%9F/fall-colors-in-the-caucasus-mountains-georgia?fbclid=IwAR1x3X_4F2LuUkyw1L4dFiClGPGffAU4ysQ4AephzrkvAt-HixzczZDSNoY

コメント