ロシアの文豪トルストイはその作品「ハジ・ムラート」の中でロシアに抵抗するチェチェン人指導者のハジ・ムラートなどチェチェン人を「ダッタン草」に例えて、「人間はすべてを征服して、幾百万の草を滅ぼし尽くしたが、この草だけはまだ屈服しようとしないのだ」と表現した。トルストイは、ロシアよりも弱小な民族を暴力で蹂躙するロシア帝国主義の暴力への批判をにじませた。現在のロシアによるウクライナ侵攻に対しても言い得る想いが描かれている。このハジ・ムラートは、礼儀正しく、勇敢であり、ロシアの兵士たちも惹かれる人物として描かれ、また作品の中ではロシア軍の残虐行為に蹂躙されるチェチェン人と悲嘆が表現される。ウクライナの人々の心はダッタン草のようにロシア軍の武力で決して挫けることはないだろう。

アマゾンより
トルストイが描いたハジ・ムラートとは真逆な人物が現在のチェチェン共和国の指導者になっている。プーチン大統領の「子分」を自任するチェチェン共和国のラムザン・カディロフ首長で、ロシアのまったくの「傀儡(操り人形)」だ。彼はウクライナに入り、13日に首都キエフから7キロメートルのところにいることをチェチェンのテレビ放送で明らかにした。カディロフ氏は2014年のクリミア半島併合の際にもウクライナで戦った。
第二次チェチェン紛争は、1999年にチェチェンの武装集団がダゲスタンに侵入することによって開始された。シャミール・バサエフなどチェチェンのイスラム過激派は、北コーカサスにおけるイスラム国家創設を訴えた。プーチン首相(当時)はチェチェンの武装集団の侵入を口実にチェチェンに再び軍隊を送った。ロシア軍の軍事的制圧が功を奏してチェチェン紛争は2006年の時点で沈静化した状態になった。シャミール・バサエフなどチェチェンのイスラム武装集団の指導者は殺害され、チェチェンの政治・社会はラムザン・カディロフ首長が掌握するようになった。プーチン氏が指揮を執ったチェチェン制圧は6万人のチェチェン人が犠牲になったと見られるほど凄惨なものだった。
ロシアによるチェチェン制圧の過程の2003年にチェチェンでは新憲法が採択され、かつて分離独立派の武装集団の指導者であるアフマド・カディロフが新大統領に選出されたが、彼は翌年5月「裏切り者として」爆殺された。その息子のラムザン・カディロフが2007年から大統領の座にあるが(2010年に「大統領」から「首長」に改称)、チェチェンでは最も「裕福」な人間と見られ、彼の私兵たち(「カディロフツィ」と呼ばれる)が反政府や人権活動家、ジャーナリストなどの人々の誘拐や拷問、殺害を行っている。2009年にアメリカの人権団体「フリーダムハウス」はチェチェンがミャンマー、北朝鮮、中国のチベットと並んで最も抑圧的な社会だと断じた。カディロフの弾圧的な姿勢をとらえて「中世の暴虐の支配者」とバイサロフ元チェチェン大統領警護隊長は述べたが、彼も2006年11月にモスクワで射殺された。

自らの私兵組織をもつカディロフ氏は、市民に対する拷問を行うなど強権的政治を行っている。彼は、ロシアと親密な関係を保ちながらも、2006年10月にはイスラム法(シャリーア)を導入し、アルコールを禁止し、また女性にスカーフを着用することを義務づけた。チェチェン国内のLGBTの人々を誘拐、拷問、処刑していることも伝えられている。その人権侵害の手法で「ミニ・プーチン」とも形容すべき人物だ。

ロシアとウクライナの少女
https://www.dw.com/…/give-peace-a-chance…/g-61017091
チェチェン制圧も武力で政治問題を解決できるという思い込みをプーチン氏に与えることになったかもしれないが、チェチェン人の独立への希求は今後も繰り返し現れていくに違いない。現在は政治的に静穏になっているチェチェン社会だが、トルストイに「ダッタン草」と形容されたチェチェン人たちの不屈の精神は変わりようがないと信じている。
アイキャッチ画像は英訳版「ハジ・ムラート」の表紙
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