昨年2月、アメリカのバイデン大統領はISの指導者アブー・イブラーヒーム・アル・ハーシミー・アル・クライシーを殺害したと発表した。大統領はこれでアメリカも同盟国も安全になると誇った。
過激派組織の指導者を1人、2人殺害しても、アメリカや国際社会の安全保障に役立たないばかりか、過激派の指導者の殺害はさらなる憎悪をアメリカに向けさせることになり、結局テロの抑制にはならないばかりか、その増殖にもなる。女子供まで米軍の「掃討」の巻き添えで亡くなる事態になったことは、中東イスラム世界におけるアメリカのイメージをさらに曇らせることになっただろう。
911の同時多発テロが発生した後、『現代イスラムの潮流と原理主義の行方』(集英社、2002年)に次のように書いた。
「同時多発テロは、史上類をみない犯罪だったが、だからこそアメリカには自省する態度や姿勢が必要だったと思う。ブッシュ大統領をはじめとするアメリカ政府関係者たちからは、過去のアメリカの対イスラム世界政策の欠陥を反省する声が聞かれなかった。テロはあくまで『犯罪』であって、それを戦争ととらえる発想にアメリカ政府や軍関係者などの政治的意図を強く感じざるをえない。「戦争」とすることによって、初代ブッシュ政権からの『懸案』であるイラクのサダム・フセイン政権を打倒する口実が見つかり、また国内の経済危機から国民の目を外に転じ、さらには軍事費を増加する正当性を得られることになった。」(18頁)
中村医師は『ほんとうのアフガニスタン』(石風社、2002年)で、テロ対策ならば、元来これはお巡りさんの仕事であり、ちゃんとした情報を集めて、テロ組織の動きを調べ、警察がきちんとするのが筋道で、いきなり軍隊が出るのはおかしいと述べているが、まったく同感である。テロを戦争ととらえてその報復や「戦争」で911の同時多発テロの犠牲者よりも大勢の市民を殺害したことはどう考えても理にかなわない。アメリカの軍事行動は、アメリカ人の死は許容できないが、アフガン人の犠牲なら仕方ないと言っているようなもので、アメリカの人種観さえ表れているようにも見える。

アメリカはアルカーイダやタリバンの戦闘員たちをキューバのグアンタナモ基地に「連行」したが、彼らが「戦争捕虜」ならば国際法に照らして戦後釈放しなければならなかった。アメリカは、今回同様、アルカーイダやタリバンの戦闘員たちの居場所を空爆して、911の犠牲者たちよりもはるかに多くの人々を殺害し、アルカーイダ以上のテロ行為を行った。
米軍がアフガニスタン人を殺害するのはアフガン人に対するゆがんだ上から目線の結果でもあると中村医師は述べている。中村医師は『ほんとうのアフガニスタン』の中で、欧米のNGOはどこか現地のアフガン人たちを見下したところがあるが、中村医師たちの活動は人々を 決して見下ろさずいつも下々からの目配りで「 いのちの闘い」をつづけてきたと述べている。
中村医師の下で働くパキスタン軍出身のパキスタン人職員が「いやしくも天下の日本軍(自衛隊のこと)ともあろうものが難民キャンプを護りに来るというのはないんじゃないか。それはうちの国の警察と市民の役目だよ」「何かの冗談にちがいない。これは日本の評判を落とすためのアメリカの陰謀だ」と述べたことも『ほんとうのアフガニスタン』では紹介されている。自衛隊の役割で外国の難民キャンプを護るということが対テロ戦争後主張されるようになったが、それがいかに的外れなものであるかを中村医師の著書は強調している。

中村医師は、自分たちの活動を支えてくれたのは、「アフガニスタンの人々の泥臭い義理人情であり、理屈抜きの情愛とまごころ。そうして血の濃さに匹敵する絆であった」と述べている。人間の本性はアフガニスタン人であろうと、日本人であろうと変わらない。中村医師の伯父の火野葦兵の小説に出てくるような優しい情感でアフガニスタンの人々に接すれば、日本人と現地の人々の相互の信頼が培われ、テロに狙われるなどとは考えられなくなる。アメリカの中東での軍事行動や政策に欠けるのは現地の人々に対する情愛とまごころだとつくづく思う。

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