戦場の恋人を想う愛の歌/涙壺、「カチューシャ」「愛しかない時」

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Translation / 翻訳

 作家の五木寛之氏は、「ちいさい物みつけた」の中でペルシャの涙壺について下のように書いている。

涙壷には戦争に出た恋人や夫、また息子を想い、悲しむ女性たちが涙を溜めていた。
むかし、ペルシャの女たちは愛する恋人は夫たちを兵隊にとられて、
日々を過ごさねばならなかった。
女たちは黙ってそれに耐え、ひそかに涙を流した。
そこまでは万葉集の中に出てくる女たちと変わらない。
ペルシャの女たちは、毎夜あふれる涙を、この奇妙なかたちをした壺にためることにしたのだ。
この壺を片手にもって、そっと目に当てる。
涙が一滴も外へこぼれないように静かに壺の口にあてがって、声を出さずに泣く。
あとからあとから涙はあふれてくる。

フランス・パリ・ルーブル美術館の涙壺


 ロシアのウクライナ侵攻、ウクライナ市民に多数の死傷者を出すほどの大義が戦争にあるように見えない。ウクライナのNATO加盟をめぐりロシアとアメリカの間に何らかの妥協があれば済む問題で、政治家たちのメンツのために、国民や兵士たちが死傷し、難民化し、飢餓に直面することは不合理そのものに見える。


 戦争では、涙壺のエピソードのように、兵士の夫や恋人を想い、深い哀しみにくれる女性たちがいる。瀬戸内寂聴さんは、「愛する人と別れること、愛する人が殺されること。それが戦争です」と語るが、戦場に赴いた、愛する人の無事の帰還を祈る涙壺のエピソードは戦争の本質や本性を表しているようだ。


 ソ連時代に流行した「カチューシャ」は日本でもダークダックスが歌い、1959年の「紅白歌合戦」では森繁久彌が歌うなど親しまれたが、カチューシャ(エカテリーナの愛称)という名前の娘が出征する恋人を想い、歌う姿を描いた曲で、第二次世界大戦中のソ連では国民的歌謡とも言われるほど広く歌われ、またイタリアでもパルチザン運動を鼓舞する歌として愛唱された。アメリカ映画「ディアハンター」(日本公開1979年)でもベトナムに赴く青年の結婚式で大勢の友人や家族、親族などが「カチューシャ」の音楽で輪になって踊るシーンがあり、その後のベトナムでの衝撃的なストーリー展開とは対照的だった。下はロシア語の歌詞からの訳である。
 http://www.worldfolksong.com/songbook/russia/katyusha.htm


咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事にもってる彼からの手紙


 ベルギー生まれで、フランスで活躍し、有名な「行かないで」などの楽曲があるジャック・ブレル(1929~1978年)はフランスが戦ったアルジェリア独立戦争が終わる1962年に「愛しかない時」をつくり彼の平和への想いを訴えた。


ここにあるのは ただ愛だけ
貧しさに打ち勝つ力 それは豊かさではなく
運命を切り開く力 それは大砲ではない
ここに愛があり ここに歌があれば
人はいつもあしたに向かって 歩いていける
どんな悲しみも よろこびの歌にかえて
心の底から 歌い続けるなら (加藤登紀子訳詞)

アイキャッチ画像は夏目雅子と涙壺

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