俳優の高倉健さんは戦後と自身の映画人生を回顧した手記を2014年11月10日に亡くなる直前に残していた。その「最期の手記」が同年12月10日に発売された『文藝春秋』の新年号に掲載された。その中で人生が変わり「諸行無常」を感じたのは敗戦を経験した時だったと書かれ、「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」という言葉で手記が締めくくられている。

仏教の無常観ともいえる情感はペルシアの詩人オマル・ハイヤーム(1048~1131年)の『ルバーイーヤート』(四行詩集:小川亮作訳)によく表れている。
「われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
われらはどこから来てどこへ行くやら?」
「あしたのことは誰にだってわからない、
あしたのことを考えるのは憂鬱なだけ。
気が確かならこの一瞬(ひととき)を無駄にするな、
二度とかえらぬ命、だがもう残り少ない。」
「よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。」
「地表の土砂のひとつひとつの粒子が、
かつては、輝く陽の君の頬、金星の美女の額であった。
袖にかかる砂塵をやさしく払うがよい、
それもまた、はかない女の頬であった。」
オマル・ハイヤームの詩には、一瞬の刹那のうちに永遠を見る思想であふれている。彼は「マリキー暦」、あるいは「ジャラーリー暦」とも呼ばれる正確な暦を残した天文学者、科学者でもあった。ハイヤームの無常観は時間への精密な観察からわき出たものかもしれない。

ナーザニーン・バヤーティ
https://www.picbon.com/tag/بیاتی_نازنین

コメント