自称「イスラム国IS」の台頭や、果てなきパレスチナ問題の重要な歴史的背景にヨーロッパ帝国主義諸国間でおよそ100年前に結ばれた秘密条約がある。
1916年5月6日、イギリスの外交顧問マーク・サイクス卿とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコの間でオスマン帝国を分割する秘密条約、「サイクス・ピコ協定」が調印された。この協定は、帝国主義ロシアの同意を得るものだった。

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この密約はオスマン帝国の領土から「人工国家」を造るもので、イギリスは地中海からヨルダン川に至る部分(現在のイスラエル・パレスチナ)とヨルダン、イラク南部、また地中海の海運の要衝であるハイファとアッコーを獲得し、またフランスは、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンを手にすることになり、さらにロシアは、翌年の革命で実現することがなかったものの、トルコ東部、またイスタンブールとボスフォラス、ダーダネルス海峡を支配することが決められた。

ヨーロッパ列強の侵略が行われるまでの19世紀まで600年以上にわたって、イラクから北アフリカまでの広大な地域は、オスマン帝国の支配下にありました。
オスマントルコはイスラム教国ですが、宗教に寛容で、キリスト教徒やユダヤ教徒なども許されていた国でした。
http://matome.naver.jp/odai/2138032922997955501 より
1923年に成立したトルコ共和国がオスマン帝国の領土を受け継ぐはずだったが、英仏は、国際連盟からの委任統治として、オスマン帝国のアラブ領の支配を「合法化、正当化」しようとした。
英仏は自己の利益に都合がよい国王やシャイフ(首長)を担ぎ出したため、民意が反映されるシステムが建国当初から存在しなかった。ヨーロッパが中東アラブ地域につくったのは「ステート(state)」であって、「ネーション(nation)」ではなかった。ネーションは共通の民族的起源、言語、信条、伝統、生活様式をもつ人々の集合体だが、ステートは地理的な人工的境界の中につくられた実体にすぎない。

人為的なつくられた中でコミュニティ同士が反目し、イラクやシリアでは人工的な中東秩序づくりに責任がある欧米、ロシアが武器を供給するようになっている。また、人工的に造られたイラク、シリアなどアラブ諸国では、国家の治安維持のために抑圧、拷問、腐敗などが横行し、国民の間の貧富の格差が拡大していったが、「人権」「民主主義」を唱えるヨーロッパ、またヨーロッパの役割を第二次世界大戦後に引き継いだ米国はアラブ諸国政府の独裁・腐敗には、イラクのサダム・フセインのように敵対しない限りは目をつぶった。

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政治的抑圧、貧困への人々の絶望的な不満は、「公平」「公正」に訴えるムスリム同胞団のようなイスラム主義の組織の主張や活動に吸収されていった。政治的、社会的、あるいは経済的な不義への怒りは、「IS」のような極端な集団への支持や資金の提供ともなっている。イラクやリビアなどでは、石油の密売による収益を武装集団に提供する闇商人の活動や存在も指摘されるようになった。
アイキャッチ画像はイスタンブール
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