坪井直さんとアルジェリアのヒバクシャたち

日本語記事
スポンサーリンク
Translation / 翻訳

 日本原水爆被害者団体協議会の代表委員で、核兵器廃絶の運動を指導してきた坪井直さんは、2007年2月にフランスが1960年代に13回の地下核実験を行ったアルジェリアのイケネール地区を訪ねた。フランスの地下核実験場はサハラ砂漠の真ん中にあるが、実験場のトンネルの近くで坪井さんらがガンマ線を計測すると自然界の1000倍以上もあったという。周辺住民は健康被害を訴え続けたが、フランスは調査も補償も、謝罪もしなかった。フランス政府が核実験の被害について謝罪をしないのは、現在までも続いていて、マクロン大統領は今年7月にも、同様にフランスが核実験を行ったポリネシアに対しても「借りがある」と述べたにとどまった。

フランスのアルジェリアでの核実験


 アルジェリアを訪ねた坪井さんは同国政府が主催した「世界の核実験に関する国際会議:アルジェリア領サハラの場合」にも出席して、「このような核の悲惨な被害を二度と繰り返してはならない。世界のヒバクシャが手を結んで、戦争や核被害のない世界を実現させましょう。」と訴えると、聴衆の拍手は鳴りやまなかったという。アルジェリアの被爆被害者たちも、坪井さんのところに集まり、握手を求めたり、自分の思いを告げたりして共感の意思を表したという。当時82歳だった坪井さんにとってアルジェリア訪問は肉体的にもきつかったに違いない。帰国すると、4日連続で点滴を打ち続けたが、体重は2.5キロ減った。身を削ってでも核廃絶の想いを訴えたいという姿勢がアルジェリア訪問にも表れていた。(毎日新聞、2007年5月10日)


 フランスはサハラ砂漠で核実験を繰り返し、きのこ雲の中に戦闘機を突入させたり、また実験後兵士たちを爆心地に進めさせたりするなど、核戦争を想定した訓練も行った。現地住民たちに放射能被害が残ったことはいうまでもなく、ガンや白内障、先天性異常が増加した。


 このフランスのアルジェリアでの核実験に最初に反対の声を上げたのは日本政府であった。日本の地理学者の小堀巌氏は、1961年にアルジェリアを訪問した時の体験を下のように語っている。


「1961年秋、サハラのオアシスで、出来たばかりのソニーのトランジスタ・ラジオで受信したNHKの短波放送からは、東京外国語大学にアラビア語学科が新設されたというニュースが伝えられてきた。それを聞いたアルジェリアの友人は、我がことのように喜んだものである。1960年にフランスがレガンヌで原爆実験を始めた時は、最初に抗議したのは日本政府であったが、そのことを彼はよく知っており、私まで感謝された。」
日本-アルジェリアセンター アルジェリア革命40周年祈念を祝う (japan-algeria-center.jp)


 冷戦の環境下、日本政府にはフランスを非難することにおそらく躊躇があっただろうが、真っ先にフランス非難に踏み切ったのは、坪井さんのような被爆者の声や、日本の被爆体験、反帝国主義運動のシンボルとしてのアルジェリアに対する日本国民の間に広範な共感があったからだろう。1961年にアルジェリアを支援する「日本北アフリカ協会」には国会議員の宇都宮徳馬、中曽根康弘、江田三郎、建築家の丹下健三らが参加するなどアルジェリア問題には広い関心があった。坪井さんがアルジェリアでヒバクシャの連帯を訴えたり、また日本の世論が政府をフランス非難に突き動かしたように、核廃絶には多くの人々が関心をもって被爆者たちの声や核兵器禁止の運動を後押しすることが求められていることは言うまでもない。

坪井さん夫妻
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=22437

アイキャッチ画像はオバマ大統領と
https://www.nippon.com/ja/news/yjj2021102700981/

日本語記事
miyataosamuをフォローする
Follow by E-mail / ブログをメールでフォロー

If you want to follow this blog, enter your e-mail address and click the Follow button.
メールアドレスを入力してフォローすることで、新着記事のお知らせを受取れるようになります。

スポンサーリンク
宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会

コメント

タイトルとURLをコピーしました