太陽がありがたかった!
空が美しかった!
風が生きていた!
これは、2012年11月に日比谷公園で開かれた「土と平和の祭典」について加藤登紀子さんが表現した言葉である。祭典には、加藤さんたちの音楽などともに、原発事故を受けて「放射線」と闘っている有機農家、浪江町から避難しても農業を続けている農家の人々のトークなどもあった。「太陽がありがたかった!空が美しかった!風が生きていた!」とは加藤さんと親交があった中村哲医師もアフガニスタンで実感していたことだろう。アフガニスタンは明るい陽光、澄んだ空、また心地よい風を体感するところでもある。

テーマ:Tokiko NOW
https://ameblo.jp/tokiko-kato/entry-10570296850.html
加藤さんは、2019年12月の中村医師の訃報を受けてツイッターで「突然のニュースに、心臓が止まりそうになりました。2001年9月11日のニューヨーク貿易センタービルの同時多発テロ直後の中村哲さんのコメントに心を打たれ、アフガン東部の砂漠に水路を築く活動を、微力ながら応援してきた1人として、残念な気持ちと、許せない怒りでいっぱいです」とツイートしながらも「混乱した世界に希望の光を投げかけた中村哲さんの遺志を、これからもみんなで応援していかなければならないと思います」と述べている。
2016年6月21日に加藤さんとの対談の中で、「みんな食うに困ったらちょっとよくない仕事でもというのが普通の人ですよ。米軍の傭兵にしろ、反政府側の傭兵にしろ、みんな田舎から出てきた食い詰めた人たちだったのです。そのことがなかなか伝わらないわけですね。日本にまで来ると、それが今までイデオロギー問題にすり替えられてきた。たとえば同じ家族から弟さんは政府軍側に警察官として、兄貴の側はタリバン側にというふうにですね。下々にとってはそんなことどうでもいいんだ。ともかく食うことだ。それがなかなか伝わらない。日本に帰って来ると、白か、黒か、テロリストはどっちでということになる。ちょっとずれてくるわけですね。」
https://video.mainichi.jp/detail/video/6112700633001

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/539915/
2012年9月にアフガニスタン南部のカンダハルを訪れて、現地の若者たちの考えを尋ねることにしたら、5、6人の若者たちが宿泊先のゲストハウスにやってきた。皆仲良そうだったが、政府軍、タリバンに分かれているという。何が分かれる基準かと尋ねると、ニヤニヤして答えない。おそらく報酬の多寡によって決まるのだろう。それでも実際の戦闘になれば、この若者たちは戦火を交えることになる。武装集団に入ることによってしか食を得られないアフガン社会の貧困についてあらためて知る思いであった。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/539915/
中村哲医師は「水や食べ物があってうれしい。平和な暮らしがしたい。病気が治ってうれしいなどといって喜ぶ姿は善悪を超えて万人共通のものです。」と語っていたが(「いい話の新聞」)、アフガニスタン政府や、あるいはタリバンなど武装勢力、さらに軍事介入を続けるアメリカが注目し、改善すべきはまさにその点である。アフガニスタンの人々は中村医師に哀悼の意を表したようだが、本当に死を悼むなら、対立する諸勢力こそ、加藤さんが言うように、中村医師の遺志を応援してほしい。
アイキャッチ画像は、おんなのしんぶん・加藤登紀子
Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×中村哲さん 干ばつとの闘い30年
毎日新聞2016年9月5日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20160905/ddm/014/070/020000c
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