「上を向いて歩こう」と日本とトルコの1960年

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 アメリカでも大ヒットした「上を向いて歩こう」は、永六輔氏が1960年の安保闘争に加わり、挫折した時の心情を歌詞にしたものだ。彼には、自分の仕事を減らしても、政治を変える、戦争の廃墟からの復興をもたらした日本の平和をどうしても守りたいという切なる想いや、運動は挫折して悲しいけれど、日本の将来のために上を向いて歩んでいこうという決意があった。

https://www.pinterest.com/pin/445786063093588943/


 1960年の日米安保を改定したのは、安倍晋三元首相の祖父の岸信介氏だった。国民のどんなに激しい反対があろうとも、遮二無二に平和安全法案を通そうという姿勢は祖父の後を追っているかのようだった。

60年安保
https://matome.naver.jp/…/214707677…/2147076891899655203


 首都大学東京のサイト「みやこ鳥」の中にある古川原氏の「トルコ民族と教育について」(『人文学報』71号、1969年))という論文を読んだ。トルコと日本の民族としての相似性、相互関係の発展、トルコ民族の歴史的発展、ケマル・アタチュルクによる近代化政策などに考察が及んでいる。
 論文には「トルコは日本とともにアメリカの大きな基地をかかえこみ、事実上の独立を不完全なものにされている、という点で、共通の課題を持っている。他国の軍事基地を国民が喜んで導入することはありうるはずがない。日土(日本とトルコ)両国といえどもその例外ではない」と書かれている。
 トルコでは、1950年7月にアドナン・メンデレスが首相に就任すると、対米姿勢を鮮明にし、朝鮮戦争に5000人のトルコ軍兵士たちを派遣した。トルコ軍兵士の俸給は米軍兵士のそれよりもはるかに安かったというメリットが米国にはあった。この「貢献」もあって、トルコは1952年にNATO(北大西洋条約機構)への加盟を認められた。
 1950年代を通じて、米国は、トルコ国内の反共的な労働組合の設立を後押しし、トルコとの軍事協力をいっそう推進していき、議会の承認も経ない、国民にはまったく明かされない極秘の協定をトルコ軍の首脳たちと結んでいった。
 親米に大きく傾斜したメンデレス政権は、国営ラジオから政府批判の言論を締め出し、ジャーナリストを投獄し、政治デモの厳格な規制に乗り出した。1959年3月5日に米国と結んだ協定では、トルコ政府の要請があれば、トルコ国内の治安維持のために米軍の出動もあり得るということになった。メンデレス政権の強権的な措置や米国に従属する姿勢は、国内から激しい反発を招き、大規模な反政府デモが日常的に発生するようになった。しかし、米国は自らの利益を守るために、メンデレス政権を助けることなく、1960年5月27日、米国の意を受けたトルコの軍部が政治の安定のためにクーデターを起こし、NATOへの協力の継続を表明する。米国も軍政への経済援助を行うことを素早く明らかにした。

トルコの軍事クーデター
1960年
https://www.youtube.com/watch?v=wFE492f8-Hk


 トルコと日本の1960年の政治状況は、米国に軍事的により接近しようとし、言論が窮屈になっているいまの日本と重なるかのようだ。私たちは挫折することなく、前を向いて歩いていきたいと思う。
アイキャッチ画像は https://ameblo.jp/j8pm3a91q62yghc5…/entry-12540254026.html より

理解が進んでいないのに採決した
https://yamatea.at.webry.info/201507/article_14.html

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