節分とオリエントの「厄除け」

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 今日は節分。節分とは季節を分けることを意味し、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、その悪霊祓いのために節分では豆まきが行われる。宇多天皇(在位887年~897年)の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事が始まりとされる。

のん
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 節分のような厄除けはイスラム世界には、トルコなどで「ナザール・ボンジュウ(nazar boncugu)やまた「ファーティマの手」という邪悪な力に対抗する護符がある。いずれも邪視除けの意味をもち、邪悪な目(邪視)をもつ人間、あるいは動物に凝視されると、人も動物も災いに見舞われるという考えがある(『岩波イスラーム辞典』より)。つまり「人間の一切の不幸は他人の嫉妬の目から起こるものであり、それを遮るために邪視除けの目がある」というものだった。


 ゾロアスター教では、善神と悪神の戦いを、前者を天使が、また後者は悪魔が応援する。ゾロアスター教の唯一にして最高の善神はアフラ・マズダーであり、生命の創造主と見なされ、光明と善をつかさどり、暗黒をつかさどる諸悪神を懲らす神である。

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 アフラ・マズダーによって創造された世界は、善によって満たされた完璧な世界であったが、悪神の攻撃を受けて「善悪」の闘争の時代に入る。すべての人間もこの闘争に加わることになるが、アフラ・マズダーなど善神を信仰することによって悪に勝利するよう努力しなければならないとされる。最後の審判で善への努力が勝利する。


 こうしたゾロアスター教の教義、倫理観がユダヤ教、キリスト教、イスラムに影響を与えていった。オリエント世界のこれらの宗教では、天使は神の創造物だが、神と人間の中間的存在であり、神の言葉、意図を人間に伝える使徒であった。イスラムでは悪魔は、天使から変貌を遂げたが、人を悪へとそそのかす存在だ。自分の内面を深める努力のことを「ジハード(内なるジハード、大ジハード)」といい、自己の内面にある悪魔と戦い、堕落、腐敗に陥らないための、いわば「克己心」のようなものだ。こうした倫理観は人間社会には普遍的なものといえるだろう。

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アイキャッチ画像は 成田山不動尊節分祭
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