中国で植林を続けた遠山正瑛氏(1906~2004年)は、その活動は中国への恩返しだったと振り返っている。山梨県南都留郡瑞穂村(現富士吉田市)の浄土真宗西本願寺派の寺で生まれたが、仏教の伝来も中国との交流によってもたらされるなど日本の文化が中国の文化遺産の上に成り立っていると遠山氏は考えた。
遠山氏は地球の緑が年々失われていくことに危機感を覚えていた。森林が伐採されたり、農地や牧草地に変えられたりすると、森が長年培ってきた表土は雨が降ると、あっという間に流されて、保水力を失い、乾燥化し、こうして砂漠化が進行していくことになる。たとえばヒマラヤ山脈の森林伐採はバングラデシュやパキスタンの大洪水をもたらすようになったと遠山氏は説明する。
中国のゴビ砂漠の上空を飛行機で飛ぶと、旧制第三高等学校の寮歌「逍遥の歌・紅萌ゆる」の一節にある「通える夢は崑崙の、高嶺の此方ゴビの原」を思い出し感慨深いものがあったという。この歌は第三高等学校生の沢村専太郎(さわむら せんたろう:1884年~1930年)によって作詞されたが、沢村は後に京都帝国大学で東洋美術・美術史を専攻し、イギリス、フランス、ドイツにある中央アジアの美術遺産や絵画の模写事業を推進するようになるなど、シルクロードに対する憧憬が強くあったが、遠山氏にも同様な想いがあったろう。
遠山氏は水の利用に関しては国が違っても、その国、その土地の、長い間培われた伝統に感動を禁じ得ないと述べている。例えば、奈良・二月堂のお水取りの行事は、福井県の若狭・小浜市でお水送りがあって地下水脈を通って10日後に二月堂に届くと考えられている。遠山氏はこれを中国・新疆ウイグル自治区のトルファンなどにある坎児井(カルジン)の伝統が日本にやってきて、日本の春の行事として定着したものではないかと推論している。

https://4travel.jp/travelogue/11221670
カルジンによる水の供給は古代のイランで考案されたもので、イランではカナートと呼ばれている。アケメネス朝時代のイランで生れたカナートは、農業の振興や居住地の拡大のために造られた。カナートは山麓部に掘った井戸にたまった水を、長い水道で運ぶ横井戸のことで、トルファンあたりだと横井戸というよりも、水が流れるところは地下だけではなく、地表を細長い水路のように、天山山脈の雪解け水を運んでいるところもある。
トルファンはウイグル人が多く住むところだが、遠山氏が訪れたトルファンは、日中戦争の記憶がないせいかウイグル人たちは日本人に親愛の情をもっているようだという印象を述べている。遠山氏は、ウイグル人は誰でも友だちになってくれるようだと語り、だからこそ余計に日本の技術協力で緑の大地にしてあげたいという想いになると話している。

坎児井(カルジン)あるいはカレーズはウイグル人たちの生活を支えてきた
https://www.turpantours.com/karez-well-undergroudn-irrigation-system/?fbclid=IwAR0FXg9_EMRFhxgME9y67XidGxJBvbxn6a2c6op_p078Ds2XffW-Qa3KdLw
現在、遠山氏がこのように観察したウイグル人たちの扱いをめぐって中国と米欧諸国は対立するようになった。日本とすれば外交のかじ取りが難しいところだが、遠山氏は中国への理解と協力を呼びかけ、中国を守ることができなければ、日本も守り育てることができないと述べている。中国の政治はともかく中国人、中国文化、社会への理解を深めることは遠山氏の言うように、日本人を守ることとして返ってくるだろう。
アイキャッチ画像は中国に建てられた遠山正瑛氏の銅像。長靴で作業着姿、スコップを持っている=中国内モンゴル自治区(日本沙漠緑化実践協会提供)
https://www.sannichi.co.jp/article/2018/06/13/00277238

グル・ナザル
https://xiumeizhan.com/zh-mo/fz/mingxingdapei/9vqdo.html
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