日本学術会議の会員候補6人が任命されなかった問題で、共同通信によれば、「杉田和博官房副長官が内閣府の提案に基づき、任命できない人が複数いると、菅義偉前首相に口頭で報告していた」のだそうだ。
杉田氏は警察庁のキャリア官僚で、鳥取県警察本部長、神奈川県警察本部長、警察庁警備局長を歴任し、橋本内閣で、情報機関「内閣情報調査室」の室長になるなどいわばエリートコースを歩んだようだ。警察官僚が、政治的見解が好ましくないという理由で学者の排除を行うのは戦前の特高警察すら思い出してしまう。

警察ジャーナリストで、元北海道警察警視長の原田宏二氏によれば、警備・公安警察の任務は「警察の内部資料では警備・公安警察の任務は、政治的主張の下に現体制を暴力的に破壊しようとする勢力、具体的には日本共産党、革マル等の過激派、朝鮮総連、イスラーム教徒などの外国人、労働組合、反戦運動などの市民運動、人権擁護運動などをこうした勢力とみて監視下に置き、その組織内に協力者(スパイ)を作ることが最大の任務だった。」とある。https://webronza.asahi.com/…/arti…/2019080600006.html…
おそらくこの警備・公安警察の監視対象に学界も含まれているのだろう。学界、そしてメディアもそうだが、政府を批判するのは当たり前で、政治や社会の改善や進歩には理性的な批判が必要である。学界の批判だったら、感情的なものは少なく、理性的なものが多いと信じたい。政府を批判したらすぐ排除では社会が改善していく仕組みがわかっていないかのようで、社会全体を親政府、反政府で二元的な色分けするのは健全な発想ではないだろう。政府の政策の中には賛同できるものもあれば、批判するものもあるのは当然だ。

今回の6人の任命拒否はかつて存在した全貌社の『全国大学別左翼教授総覧』をも彷彿させる内容で、大学教授を政治的に区分したい警備・公安警察の発想が表れているようにも見える。
2019年夏に東京の浅草モスクに行くと、金曜礼拝に近隣の警察から警官が来ていた。この警官はイスラーム教徒ではないので、モスクの活動やモスクに出入りする人々の動静を探っていたのだろう。モスクの関係者たちに、警察が来ていることをどう思うかと尋ねたところ、何も感じないとは言っていたが、自らの宗教活動が警察の監視の下に置かれることは決して快いものではないだろう。
2010年に公安警察の国際テロの捜査対象として在日ムスリムの個人情報が外部に流出し、第三書館が出版したことがあった。イスラーム=危険という思い込みから捜査するのは、イスラームという宗教への敬意にも失するし、イスラーム世界の対日観にも影響を及ぼしかねない。科学誌「ネイチャー」は日本学術会議の問題にも触れながら、国家が学問の独立性を尊重する必要性を強調した。警備・公安警察の活動の在り方も世界の中の日本像を形成する重要なファクターであることは言うまでもない。
アイキャッチ画像は石川恋
https://www.entameplex.com/archives/49170
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