中東の「聖なる山」とタタール人が見た富士山

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 11日は「山の日」だったが、制定の主旨は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」というものだ。

 一神教のイスラムに日本のような山岳信仰はないが、日本の富士山に似たイランのダマーヴァンド山(標高5、610m)のように、民間伝承や神話、さらには詩作の中で描かれる山もある。

イラン
ダマーヴァント山
富士山ではありません
http://intactnature.com/mount-damavand

 イランの詩人フィルドウスィー(934~1025)の叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』で悪王ザッハークは、日々人を殺してはその脳を蛇に与え食べさせる恐ろしい人物として登場するが、英雄フェリドゥーンは、鍛冶屋のガーウェが造った刃金の矛(ほこ)でザッハークに打ち勝ち、天使の勧めもあってザッハークをダマーヴァンド山に監禁し、自らはペルシアの6代目の王となって500年にわたって帝国の王となり、安定と繁栄をもたらした。

 英語の「暗殺者(アサッシン)」は、「ハシーシュ中毒者」を意味するアラビア語の「ハシーシーイーン」が語源となっている。俗に「暗殺教団」と呼ばれるのはイスラムのニザール派で、イラン高原のアラムート山の城塞を拠点に独立政権を打ち立て、敵対するセルジューク朝や十字軍に対して暗殺などの暴力的手段で対抗した。ヨーロッパからは「暗殺教団」と呼ばれて恐れられたが、アラムート山には膨大な図書や優れた学者たちが集められ、学術研究の中心ともなった。マルコ・ポーロはその『東方見聞録』の中でこの「暗殺教団」は「山の老人」によって支配され、「いくつかの川には葡萄酒、牛乳、蜂蜜、水がそれぞれあふれるように流れていた。妙齢の美女が楽器をかきならし、上手にうたい、見事に踊っていた。」とその伝聞を記している。

 トルコ東部にあるアララト山は大小2峰からなり(標高5165mと3925m)、旧約聖書のノアの方舟が到着したところと中世以降考えられるようになった。アルメニア人にとっては聖なる山である。  山が聖なる性格をもつことは、一神教の世界においても日本と変わらないようだ。

アルメニアの伝統衣装
https://jp.pinterest.com/pin/495888608947194895/

 タタール人で、日本のイスラム研究にも大きな影響を与えたアブデュルレシト・イスラム(1857~1944)は、その著作『ジャポンヤ イブラヒムの明治日本探訪記』(小松香織・久男訳/2013年、岩波書店)の中で富士山について「日本人の信仰によれば、この山は世界で最も高い。実際はヒマラヤの方が高いとしても、精神的には富士山の方が高いのだという」と記している。  富士山における不法投棄は世界遺産登録後、減少しているのだそうだが、新しく設けられた「山の日」は環境についても一考する機会だろう。

気持よさそうです

アイキャッチ画像はアララト山

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/df/Kohrvirab.jpg?fbclid=IwAR189Bz9jiM8qen3FZ1t1KI9JH4cbkmfmNB1jOCc5-N5V848t_IIckyuhKQ
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