リチャード・ギアが見たヘブロン -ヘブロンは共存の街だった

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 リチャード・ギアが2017年3月にヨルダン川西岸ヘブロンの街を訪れた様子は下のユーチューブにある。


 ギアもイスラエル兵からパスポートの提示を求められるが、これはイスラエルに行けば日常的に見られる光景だ。

イスラエルの占領はすべてを壊している。占領を擁護することはできない。
―リチャード・ギア
https://twitter.com/OnlinePalEng/status/1340660843478958080


 ギアはヘブロンのパレスチナ人の様子を見て、「まったく奇妙だ。これは死の街だ。誰がこの町を所有しているんだろう?彼ら(入植者たち)は『自分は守られている』という感覚だ。(入植者たちは)『自分がやろうと思えば何でもできる』(と思っている)、それは(彼らにとって)『どこが境界か?』という感覚だ。ちょうどアメリカの『古い南部』と同じだ。黒人はどこに行けるのか知っていた。あの井戸の水は飲めた、あそこには行けない、あそこでは食べてはいけないなどはよくわかっていた。(黒人たちは)頭を殴られたり、リンチに遭ったりするのが嫌だったら一線を超えることはできなかった」などと述べた。


 リチャード・ギアと同行した女性は、ここには800人の入植者を守るために、600人のイスラエル兵がいると、イスラエル国家の「異常ぶり」を説明している。守られているのは、ユダヤ教原理主義のイデオロギーによって動機づけられた暴力をふるう入植者たちで、暴力を受けるパレスチナ人たちではない。

以前のヘブロン(上)と現在(下)
https://www.btselem.org/publications/summaries/200705_hebron


 入植者たちの間で台頭するのは「ヒルトップ・ユース」と英語で呼ばれる過激なイデオロギーで「パレスチナ人は聖地をレイプしている。彼らは追放しなければならない。」というものだ(ウィキより)。


 ギアが述べるように、ヘブロンのパレスチナ人たちは日々恐怖の中で生活し、入植者たちを刺激しないような配慮を強いられながら生活している。イスラエルはヘブロンのパレスチナ人居住地の中に入植地をつくり、こうした入植地はパレスチナ人たちの移動の障害にもなり、ヘブロンの街を次第に侵食していくかのようだ。

イブラーヒームのモスク(マクペラの洞窟)に集うムスリムたち
https://www.jpost.com/arab-israeli-conflict/unesco-votes-in-favor-of-inscribing-hebron-sites-to-the-state-of-palestine-499059?fbclid=IwAR0xbgb_PxSAI6faz4aZiHcZ5ArV8LtSyAnChalEmzVISWcZYXtLfmczm3c


 ヘブロンの町はアラビア語名「アル・ハリール(アブラハム)」、正式には「アル・ハリール・アル・ラフマーン(慈愛深きアブラハム)」という。イスラムではメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ4番目の聖地だ。ヘブロンは預言者ムハンマドがエルサレムから昇天する際に立ち寄ったところと考えられ、ムスリムの巡礼の地でもある。


 ヘブロンはエルサレムの南32キロほどにあり、ハリール山地の温暖な気候でブドウなど果樹の栽培に適して、ワイン造りも行われてきた。


 ヘブロンはこの地域では最古の町の一つであり、「ヘブロン」はヘブライ語の名称で、その意味は「神の盟友(ハヴェル)」という意味だ。ユダヤ教でもエルサレム、ティベリウス、ゼファトと並んで4つの聖地の一つとして数えられている。アブラハムはユダヤ人の祖であり、イスラムでも一神教を創始した預言者の一人とされる。


 ヘブロンにはマクペラの洞窟があり、アブラムと、イサク、ヤコブ、アブラハムの三人の妻たちサラ、レベッカとレアの墓があり、ユダヤ教の伝承ではアダムとイヴもヘブロンに埋葬された。イスラムでは「アブラハム(イブラーヒーム)のモスク」として改修され、ムスリムに貴重な礼拝の場を提供してきた。


 ヘブロンは1099年に十字軍の支配を受けるようになったが、ムスリムのクルド人名将サラディンがユダヤ人の支援を受けながら、1187年に奪還した。オスマン帝国の支配は15世紀後半に始まったが、ユダヤ教徒たちには信仰活動の自由を保障し、「ユダヤ教徒のシェイク」という自治区の長を設け、彼らのコミュニティーに政府が干渉することはなかった。


 その共存関係が崩れるのは、言うまでもなく、シオニズムのイデオロギーによってヨーロッパなどからシオニストたちが移住してからのことである。イスラエルの独立と第一次中東戦争によって1948年末からヨルダンの支配下に置かれ、1967年の第三次中東戦争によってイスラエルの占領が続き、イスラエルの入植地が拡大している。


 今の状態を国際社会が座視したままだと、ヘブロンの町は、リチャード・ギアが見たようにパレスチナ人たちが極度の差別を受けたまま、やがてイスラエルに乗っ取られてしまうだろう。

アイキャッチ画像は

黒人はどこに行けるのか知っていた。あの井戸の水は飲めた、あそこには行けない、あそこでは食べてはいけないなどはよくわかっていた。(黒人たちは)頭を殴られたり、リンチに遭ったりするのが嫌だったら一線を超えることはできなかった
ーリチャード・ギア
https://twitter.com/masarsakr

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