イラクの誇り -愛を手にいれたとき

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Translation / 翻訳

私があなたからの愛を手に入れたとき
金銀はささいなものとなった
地の上にあるすべて
のものは土となった
-ムタナッビー(915?~65年、イラク・クーファ生まれ)

「アラビア語のノート古典アラビア語の授業ノート」より


 ムタナッビーはアラブ人の誇りと伝統を強調し、アラブで最も偉大な詩人の一人として評価されている。

バグダード
殉教者モニュメント
https://www.archdaily.com/868397/ad-classics-al-shaheed-monument-saman-kamal?fbclid=IwAR0Jzpc_BZnNdHlaVxanTwVjOxxudXPo0wn_SUNIe19Hpc55UfIWGibVxW8


 イラクは2003年のイラク戦争の後遺症から立ち直れず、かつての輝きを取り戻せないでいる。イラク戦争が生んだとも言えるIS(「イスラム国」)掃討のために米軍は9、000回の爆撃を繰り返し、65、000個の爆弾を投下した。IS(「イスラム国」)の拠点であったモースルだけでも1億ドル相当の被害があり、市街にあった50%から75%の建物が破壊された。(Sky News)


 しかし、歴史的にはイラクはアラブ・イスラム世界の政治・経済の中心として中心として学術的、また文化的にも光彩を放っていた。イラクの首都バクダードは、アッバース朝の第二代カリフ(イスラム共同体の指導者、アッバース朝の国王)のマンスール(在位754~775)が建設した都市で、アッバース朝の首都として次第に拡大、発展を遂げていく。マンスールは、ここに三重の城壁を施し、円形をしたマディーナ・アッサラーム(平安の都)を造成した。この新首都の造営には、4年の歳月がかかり、また10万人の職人、労働者を要したという。

イラク
モスル
1970年代初頭
https://twitter.com/iraqipic/status/700018662112149504


 バクダードは、東西交通の要衝にあったため、多くのキャラバンがここを通過した。また、チグリス川の河川輸送の中継地としても栄え、多くの職人や商人たちがバクダードの街に住み着くようになり、最盛期の9世紀から10世紀にかけては、およそ150万人の人口を抱えていた。バグダードでは、スーク(市場)が経済活動の中心を担った。


 バグダードは、イスラムの法学研究の中心で、「バイト・アル=ヒクマ(知恵の館)」では、ギリシアの古典などの翻訳事業が盛んに行われ、さらにモスクのジャーミ・アル・マンスールでは、イスラムの学問が発達し、歴史学の研究、詩など文学作品の創作も活発に行われた。チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミアが世界の文明の発祥地の一つであったように、イラクは文明の先駆的存在であり続け、ヨーロッパが世界の辺境ともいってよい頃、バグダードは、世界で最も洗練された、国際的都市で、哲学、科学、文学など学芸も高度に発達していた。(拙著『オリエント世界はなぜ崩壊したか』新潮選書、2016年)


幾そたび、みだるるこゝろの静まれかしと老いの来るを待ちわびるわれ、
希いかないし今、なにゆえおもい煩らわんとする。
われら望みをすて、残るは槍の穂先のみにして、
ほかに弄ばんものもなし。
世にあるあまたの座の、いと貴きは早馬の鞍、
伴侶のいと良きは、とわに一巻の書。
-ムタナッビー
http://heumonat.plala.jp/kurohime/2009/w48.html

アイキャッチ画像はイラク国立博物館
アッシリア展示
https://www.al-monitor.com/originals/2015/03/iraq-mosul-museum-destruction-archaeological-sites-threat-is.html?fbclid=IwAR3moDavMaay89_bJTYWzF4hN-VItG3e0ciTuNjt3pAnNNPQlT2le2-bZwk

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