フランシスコ教皇の核廃絶の訴えと無常観

日本語記事
スポンサーリンク
Translation / 翻訳

 フランシスコ教皇は2019年11月24日、長崎市の爆心地公園で世界各国の指導者に向けて「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠なことだ」と訴え、被爆地の長崎市については「核兵器が人道的も環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人」と形容した。

長崎市の爆心地公園で、「焼き場に立つ少年」の写真の横でスピーチするローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(2019年11月24日撮影)。(c)Handout / VATICAN MEDIA / AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3256355


 米国はイラン核合意から離脱する一方で、イスラエルの核兵器については黙認し、サウジアラビアに核技術を移転する。以前、中東で安全保障に関する会議に参加した時に、イラクやサウジアラビアの参加者が核抑止という発想が中東でもあっていいのではないかと発言した時に背筋が寒くなる思いだった。イスラエルの核兵器保有が中東地域の核兵器への関心や核抑止という考えになっていることは間違いない。


 教皇は2015年9月の国連演説でイラン核合意を歓迎し、また2017年11月にバチカンで開かれた国際的な核軍縮会議「核兵器のない世界と一体的な軍縮のための展望」で「人類は核兵器のあらゆる設置がもたらす人道的、環境的な破滅的な影響について真剣に懸念することを怠ることはできない。過失事故による爆発などのリスクを考慮した場合、使用するのと同様に保有することも断固として非難されるべきことだ。」と述べた。

イランの女優ナフィーセ・ロウシャン
https://www.pinterest.co.uk/pin/562950022170239442/?lp=true


 2018年11月に新任の駐ヴァチカン・イラン大使と会談し、教皇フランシスコは「イラン国民の偉大な指標は、人間的に豊かな文化を有していることであり、これを活用して現代人を救うために努力することができる」と述べた。


 核兵器は、文化的伝統をもつイランでも表現される「無常」とは異なるものであり、それを破壊する異常なものだ。オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(小川亮作訳)には次のようなものがある。


この永遠の旅路を人はだた歩み去るばかり、
帰って来て謎をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
あしたのことは誰にだってわからない。
あしたのことを考えるのは憂鬱なだけ。
気がたしかならこの一瞬を無駄にするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少ない。


 このようにハイヤームが説く無常観は生産的で、現代人を救うような響きをもち、日本の鴨野長明も「願わず、わしらず(走り回らず)、ただしづかなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす」と無常観を表現したが、長明の時代に起きた自然災害とは違って核兵器は人の命を必ず絶つもので、憂えざるをえない対象で無常を断つものだ。現代人の憂いを救うための努力をしなさいというのが教皇の主張のように思われ、日本の仏教は無常観を特に強調してきたが、その文化を有する日本の政府は教皇の訴えに応えなければならないだろう。
アイキャッチ画像は核兵器についてのメッセージを述べるローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午前10時28分、長崎市の爆心地公園、林敏行氏撮影
https://digital.asahi.com/art…/photo/AS20191124000648.html

調布市・つつじヶ丘
「柴崎亭」の肉ワンタン麺
日本語記事
miyataosamuをフォローする
Follow by E-mail / ブログをメールでフォロー

If you want to follow this blog, enter your e-mail address and click the Follow button.
メールアドレスを入力してフォローすることで、新着記事のお知らせを受取れるようになります。

スポンサーリンク
宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会

コメント

タイトルとURLをコピーしました