ヨーロッパのポーランドは、18世紀に国土が分割され消滅し、また第二次世界大戦でもドイツとソ連の侵攻を受けるなど受難の歴史をもつ国だ。

そのポーランドと日本は大正時代に縁ができ、ロシア革命と第一次世界大戦の混乱の中で多くのポーランド人がシベリアに抑留され、親を失ったポーランド人の孤児たち375人(数については諸説がある)を受け入れたのは日本であった。1920(大正9)年7月23日、ロシアのウラジオストクから敦賀港に入港した陸軍の輸送船「筑前丸」にはポーランドの孤児たちが乗船していたが、日本赤十字社が「ポーランド児童救済会」の要請を受けて、孤児たちの救援に当たった。
http://www.tmo-tsuruga.com/…/polish…/polish-orhpans.html
日本陸軍中将だった樋口季一郎(1888~1970)は、陸軍大学でロシア語を学び、1920年代末にポーランドに武官として赴任した。ソ連の隣国のポーランドでは、ソ連に関する情報蒐集が活発に行われ、ソ連の暗号解読の技術をポーランドに学ぶべきだと考えたいたことも、ポーランドに派遣された背景にあったらしい。

ポーランド在任中にカフカスのジョージアに旅行すると、あるユダヤ人の老人に出会った。その老人は樋口に「日本は東方の国で、太陽が昇る国。あなたたち日本人は、ユダヤ人が悲しい目にあったとき、きっと助けてくれるに違いない。あなたたちがメシア(救世主)なのだ。きっとそうであるに違いない。」と語った。ソ連で迫害されていたこの老人には日露戦争での日本の勝利の記憶が強く残っていたのかもしれない。
樋口は正義感の強く、弱者への共感をもち合わせていた人物で、1937年に満州国ハルビンの特務機関長になり、日本の官吏たちの不正の問題に徹底して取り組んだ。現地のユダヤ人の要請で、1938年1月に第一回極東ユダヤ人大会の開催を後押しして、大会で「(ナチス・ドイツによる)ユダヤ人の追放は人道主義の観点からも、また人類の一人として悲しまずにはいられない。ユダヤ人に安住の地を与えよ。」と演説し、会場から万雷の拍手喝采を受けた。
1938年3月にソ連・満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅にポーランドなどヨーロッパのユダヤ人たちが逃れてくると、彼らの満州国内への入植や上海租界への移動の手助けを行った。陸軍内部には1936年にナチス・ドイツと防共協定を結んでいた背景から樋口の行動を疑問視する声もあったが、樋口は東条英機・関東軍参謀長に「ナチス・ドイツの片棒を担いで弱者をいじめるのは正しいこととは思えない」と発言した。樋口は、ユダヤ民族に最も貢献した人物を紹介する『ゴールデン・ブック』にその名を留め、ユダヤ民族から永遠に感謝と敬慕を受ける人物となった。

サッカー ポーランド・サポーター
2017年7月6日、アメリカのトランプ大統領はポーランド・ワルシャワで、「我々の文明を破壊しようとしている勢力に対して我々はそれを守っていく勇気をもっているだろうか」と語り、ポーランドでは不寛容な右翼が台頭している。日本人への自戒も含めて、過去にポーランドと関わった日本人の人道主義は思い起こされなければならないと思う。
アイキャッチ画像はポーランド・ダンス
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