シリア出身でUAE在住の女性アナウンサー・シャハド・バッラードさんはツイッターに「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」と書き込んだ。シリア人権監視団によれば、2015年は10月までに欧米、ロシアなどの空爆を含めて内戦で10、883人のシリア市民が犠牲になった。2015年11月13日に発生したパリ同時多発テロの犠牲者のおよそ100倍の数だ。

https://abcnews.go.com/International/banksy-tribute-paris-terror-attack-victims-stolen-bataclan/story?id=60648284
オランド大統領(当時)がシリアの「イスラム国(IS)」の「首都」ラッカ空爆を決断したのは、ISがフランスをテロの標的として考えるようになったからだと伝えられている。フランスのムスリム人口は300万人ほど、総人口のおよそ5%で、ISに参加するのは1000人、あるいは多い見積もりでも3000人程度とされる。
AFPによれば、フランスの戦闘機はテロの3日前である11月10日に、ISの重要な財源である石油施設や、フランスに対するテロ計画をもっていたISの外国人グループの軍事訓練キャンプに本格的な空爆を行った。フランスは、テロの脅威を軍事力で封じる試みを15年9月から行ってきたが、それでもテロを封じることができず、空爆はさらにテロへの強い動機を与えることになったに違いない。
ISは、2004年マドリード列車同時テロ事件で、スペイン軍がイラクから撤退しことをフランスに対しても再現したかったのかもしれない。他方で、フランスは2013年にマリに地上軍を派遣したことがあるが、オランド大統領はISのテロを封じるために、その拠点であるシリア東部に地上軍の投入を視野に入れていたのかもしれない。
フランスは、シリアを委任統治した国で、1920年から占領統治が始まった。その支配の手法は分断統治で、現在のアサド大統領の出身宗派であるアラウィ―派を優遇し、大多数のスンニ派と敵対させたり、あるいはクリスチャンが多いレバノンをシリアから切り離したりすることも行った。フランスの空爆などのシリアでの軍事行動は過去の強権的支配の記憶とも重なるのだろう。

秋
https://weheartit.com/entry/201611314
「現代の総力戦にとって、空爆は主要な戦争手段であるが、私の家族のように直接の被害をうけなかった場合にも、空爆は市民の生活に深刻なさまざまの困難や苦しみを与えた。まして家や仕事場を焼かれ、家族が死んだり、障害を負ったりした戦災者の苦難には、計り知れないものがあった」(荒井信一『空爆の歴史』岩波新書、2008年)
空爆、あるいは戦争によって多数の同胞を失った日本人には、パリの犠牲者に対する弔意を示すとともに、シリア人やイラク人の苦しみや悲しみも理解できると思うのだが・・・。
アイキャッチ画像はパリで
http://petersen.myhostpoint.ch/

赤い帽子
https://br.depositphotos.com/stock-photos/paris-nice.html
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