ウクライナ戦争を行うプーチン大統領はスラブ派の政治家と言われている。彼の前任者のエリツィン元大統領は欧米に接近し、ユダヤ系の新興財閥が次々と誕生、莫大な富を収めるようになり、チェチェンなどでは独立への動きがあった。プーチン大統領の行動様式の背景には、かつて第一次世界大戦の引き金となったパン=スラブ主義のイデオロギーがあるように見える。
パン=スラブ主義はスラブ系民族の統一を目指すもので、19世紀中盤に現れた思想である。特にバルカン半島の南部スラブ系の人々の統一を考え、オーストリア=ハンガリー二重帝国、オスマン帝国、ヴェネツィアの支配を受けたスラブ系民族の解放を唱えた。パン=スラブ主義はロシア帝国、またソ連の政治・思想的な道具としても使われた。

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パン=スラブ主義は19世紀前半にスラブ世界の西部、南部のスラブ人のインテリ、学者、詩人などによって提唱されたり、芸術作品の中で表現されたりした。スラブ系民族の民謡、民話、農民の方言などが研究され、スラブ系の人々の類似性やその統一性が強調された。
パン=スラブ主義は、トルコ支配からのスラブ民族の解放をも考えるようになり、ヨーロッパが精神的にも、文化的にも破たんしていく中で、ロシアがヨーロッパにおける政治的な優位を握ることで、その再生のカギを握っていくであろうと考えられた。またロシアの使命は他のスラブ系民族の支持なしには達成しえないと説かれ、オーストリアとオスマン帝国の支配から解放されて、ロシアが主導するスラブ系民族の連邦が実現すべきだと考えられた。

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ロシアは不凍港を求めて南下政策を続けていたので、地中海に至る経路ともいえる位置にあるバルカン半島での同系民族との連帯は都合のよいものだった。東欧やバルカンでは、パン=スラブ主義と、パン=ゲルマン主義の対立で軍事的緊張が高まっていった。ロシアはセルビア人を、またオーストリアはクロアチア人を支援し、武器や資金を供与していた。オーストリアが煽るキリスト教徒のナショナリズムは、20世紀に入っていよいよ高揚し、マケドニアでは数千人のムスリムやユダヤ人がキリスト教徒による単一民族国家造成という「民族浄化」のために虐殺された。こうしたパン=ゲルマン主義の高揚に、パン=スラブ主義の側はサラエボでのオーストリア皇太子の暗殺(1914年6月28日)という形で対抗し、第一次世界大戦の引き金となった。

暗殺場面を描いた新聞挿絵, 1914年7月12日付
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パン・スラブ主義の運動が開始された当初、ポーランドでもこの運動に対する関心が生まれたが、しかしその盟主がロシアであることにポーランドでは反発があった。ポーランドは、その分割以来、ロシア帝国の抑圧的支配を受けてきた。パン・スラブ主義連邦の構想があった時にポーランド人の知識人の多くはロシアを排除することを主張した。パン・スラブ主義はロシア帝国主義のイデオロギーとして見られることが多く、今回のウクライナ侵攻のように、ロシアがスラブ民族を主導するという同系民族の中でのロシアの覇権主義の背景ともなっている。

https://edition.cnn.com/europe/live-news/ukraine-russia-news-02-25-22/h_e099f9c81a255649442e06eb477d113f?fbclid=IwAR1R3sbB2JeCT2P2_LFMo5dF-Le8SJL27GmsNo5xxi8iBtaN2-HTQJ7pVJc
アイキャッチ画像は「血に飢えたプーチンを止めろ」と書かれたプラカードを持ち、国連本部前に立つウクライナ人の女性=米ニューヨークで2022年2月24日、隅俊之氏撮影
https://mainichi.jp/articles/20220225/k00/00m/030/045000c
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