駐レバノン大使・大久保 武さんのフェイスブック・ページに、「日本の技術協力により一度は消滅したパレスチナ産スイカを復活させたという日本らしい協力の逸話があります。」とあった。
2007年から10年にかけてのJICAのプロジェクト「持続的農業技術確立のための普及システム強化」では、プロジェクトで紹介されたスイカの接ぎ木苗によって、パレスチナでは病虫害に強いスイカの収穫ができるようになった。プロジェクトについては
https://www.jica.go.jp/…/office/activities/project/06.html
にある。

なんかおかしい
https://twitter.com/wmshihab
パレスチナでは農業が主要産業で、こうした支援はパレスチナ人の生活改善に大いに役立つことだろう。
スイカはパレスチナ人にとっては民族的シンボルの農産物で、スイカに見られる緑、黒、赤、白の色は、パレスチナ国旗に用いられているが、この旗は元々第一次世界大戦中の「アラブの反乱」のシンボルとして用いられ、アラブの独立への希求を表した。
スイカの収穫の歴史は古く、サンスクリット語でスイカを表す言葉があり、また古代エジプトではスイカを描いた絵が残されていて、4000年以上前からスイカを食べる習慣があったが、エジプトの近隣のパレスチナでもその歴史が古いことは容易に推察される。パレスチナでも日本と同じように、スイカは切り分けて食べる。アメリカなどで見られるようにキューブ状にして食べることはない。
1967年の第三次中東戦争でアラブ諸国が敗れ、ヨルダン川西岸やガザがイスラエルに占領されると、これらの占領地でパレスチナ旗を掲げたり、振ったりすることは占領当局によって禁じられた。1993年にイスラエルとパレスチナの間でオスロ合意が調印されると、「ニューヨークタイムズ」がガザでは輪切りにしたスイカをもっていただけで逮捕されたパレスチナ人がいたことを報じた。パレスチナ人の画家たちはパレスチナ旗だけでなく、パレスチナの色まで禁じられ、ギャラリーを閉鎖されたことがあったと語っている。イスラエルがどのような形態であるにせよ、パレスチナ・ナショナリズムが表出されることに過敏であることは確かだろう。

「パレスチナの色」
https://www.thenationalnews.com/arts-culture/how-the-watermelon-became-a-symbol-of-palestinian-resistance-1.1230806?fbclid=IwAR1-VT0YKhTVJaixdIPF4aPCcrst3TNGCQedGFmNWaI5S9tgoZiEXy8li4s#4
しかし、芸術の抑圧については世界の文化団体から批判の声が上がり、イスラエルの当局も取り締まれなくなっているという。それらの団体の中にはロンドンを拠点としてアラブ文化の紹介を行う「モザイク・ルームズ」やドイツやトルコ、シャルジャなどから指導者が集う国際ビエンナーレ協会などがあり、パレスチナ人の芸術文化活動への支援を表明している。また、ソーシャルネットでパレスチナ人が占領や人権侵害について発信するようになったこともイスラエルの抑圧に対する歯止めになっているという。(『ザ・ナショナル』5月29日)
ならば私たちもパレスチナ人に対する人権侵害についてはこうしたSNSを通じて声を上げていく必要があるが、農業技術支援は日本が誇れる分野の一つで、伝統的な農業の復活などパレスチナ人のプライドを取り戻し、少しでも豊かな生活手段を得られるような支援が望ましいものであることは間違いない。

「古い橋」に垂れるパレスチナ旗
https://www.aa.com.tr/…/palestinian-flag-flown…/2239660
アイキャッチ画像はJICA・パレスチナのスイカ支援
https://www.jica.go.jp/palestine/index.html
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