戦争の楽観主義は悲劇を招く ―戦争は終わらせるのが難しい

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 アフガニスタンでの対テロ戦争を開始するに際して、アメリカのブッシュ大統領は自信に満ちた表情でその勝利を誓った。アメリカの楽観主義は、その圧倒的な軍事力と、自らの動機が正義であるという「確信」によって裏付けられている。しかし、そうした楽観主義はいつももろくも崩れていく。

 アフガニスタンに侵攻した国や勢力によって国家の元首に据えられた人物はすべて悲劇的な末路に終わっている。第一次アフガン戦争で英国が復位させたシュージャ・シャー(1785年~1842年)は、1842年4月にカブールに駐留したイギリス軍が劣勢にさらされ、撤退すると暗殺された。第二次アフガン戦争でもイギリスは1879年にモハンマド・ヤクーブを統治者(当時は「エミール」の称号)に据えてアフガニスタンの外交権をすべてイギリスに委任させる条約を結んだが、アフガニスタン人の反発が強く、彼は翌年廃位させられた。

カブール空港で押し寄せる人々を制止する米軍
https://www.dailymail.co.uk/news/article-9900537/Taliban-Afghanistan-Evacuation-flights-Kabul-resume.html?fbclid=IwAR1RxQtQ1W9Nu2_1zRpHBq2q1vbbCB-by7lKvkTc0NB8QvYNfdNTol48cpE

 1979年にソ連軍が侵攻して強化しようとしたアフガニスタンの人民党(共産党)政権も1989年のソ連軍撤退の3年後に崩壊し、人民党政権のナジブラ元大統領はタリバンによって殺害された。そして今回、ガニ政権もあっけなく崩壊した。アメリカは、アフガニスタンの人々の心情やアフガン社会の伝統的な構造を理解できないまま撤退しようとしている。

北部同盟の兵士たちと 2001年10月

 アメリカは、イラク戦争でも、サダム・フセインの大量破壊兵器保有を問題視して、その脅威を除くと戦争を開始した。米英軍はラムズフェルド米国防長官の楽観的構想もあって15万人余りの兵力でイラク戦争を始めたが、それはきわめて不十分であった。イラクではフセイン政権の崩壊とともに警察などの治安機能がまったく失われ、少ない兵力の米軍は略奪をただ傍観しているほかなかった。タリバンのカブール制圧に手を出すことがまるでなかった今回の米軍の様子とよく重なるようだ。

 映画「日本のいちばん長い日」の原作者である歴史家の半藤一利氏は、日本の降伏に激しく反発した軍人たちの動きを形容して「戦争は始めるのは簡単だけど、終わりにするのは大変。この一言に尽きます。」と語っている。日本の軍部は真珠湾攻撃を契機にする日本と連合国との戦争についてその終わらせ方について明確なプランをもっていなかったことが日本に壊滅的敗北をもたらした。

 それは、アメリカがアフガニスタンやイラクで始めた対テロ戦争もそうだったろう。タリバンやサダム・フセイン政権を倒せば「自由」「民主主義」のアメリカ型の価値観をこれらの国に植えつけることができるという楽観的判断の下に戦争を開始したが、アフガニスタンでではタリバンが根強く米軍や政府に対する攻撃を続け、またイラクでは米軍に対する武装集団の蜂起がいっせいに始まった。両国では米軍と現地住民の間で埋めがたい溝が生じた。アメリカは、どのような形態で米軍を撤退させるか具体的構想をもっていなかった。

ISから逃れるイラクの難民たち
アメリカの戦争は難民を生む
https://www.rfi.fr/en/france/20140814-iraqi-refugees-seeking-french-visas?fbclid=IwAR1RKnXApLwFVuq8VwX_nmeIWZNFz-BTkikVssdHLvG0h-Y5-DkoMweiusw

 バイデン大統領は2021年7月2日の記者会見で、アフガニスタンの情勢悪化について「アフガン政府は政権を維持する能力があると考えている」と楽観的な見通しを示したが、それがいかに誤ったものであったかはその後の情勢が表している。

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