大林宣彦監督は「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の完成を前に、「国家権力というものは、過去のあやまちを忘れたら、間違いを繰り返す。だから『決して忘れない』。それが今作に込めた思いです。」と語った。
https://digital.asahi.com/articles/ASM784GTBM78PTIL017.html

https://digital.asahi.com/art…/photo/AS20190710002756.html
大林監督は戦争を始めるのは容易だが、平和を築くには時間がかかるとも述べているが、アフガン戦争、イラク戦争、さらにはウクライナ戦争を見ただけでもまさにそんな感じだ。2001年の911を契機に米国はアフガン戦争を開始し、同年11月にタリバン政権を打倒したものの、いまだにアフガニスタンには2021年8月まで米軍は駐留した。イラク戦争が生んだとも言えるIS(「イスラム国」掃討のために米軍は9,000回の爆撃を繰り返し、65,000個の爆弾を投下した。ISの拠点であったモースルだけでも1億ドル相当の被害があり、市街にあった50%から75%の建物が破壊された。(Sky News)その復興には気の遠くなるような時間が必要だが、復興が円滑に進まず、人々の生活状態が改善されないと、IS復活の可能性も否定できない。
大林監督を取り上げた朝日新聞の特集「あの人が語った戦争」では歌手・俳優の美輪明宏氏が長崎での被爆体験を語っている。原爆投下後に郊外に向かって逃げたが、建物の下敷きになって助けを求める人を振り払うとその人の肉がズルッと剥けて美輪氏の腕にくっつき、それは「地獄だった」と美輪氏は回想している。その記事の中で紹介されている美輪氏の作詞・作曲による「ふるさとの空の下で」は下のように歌われるが、あやまちを繰り返さないためには決して忘れないことだ。

http://hoshino-karuizawa.seesaa.net/article/455842604.html
ふるさとの ふるさとの
駅に降りたちただひとり
迎える人もないままに
静かな街をコツコツと
歩けば涙あふれでる
幾年前か忘れたが
あの原爆の火の中を
逃げて走った思い出が
今さらながらによみがえる
平和なころには家中で
遊んだ丘もここあたり
みんなの名前呼んでみよう
オーイ オーイ
アイキャッチ画像は元ちとせ、一度は諦めた反戦歌 原爆が焼いた7歳の少女
https://digital.asahi.com/articles/ASM4C7S6JM4CUEHF012.html

有村架純が語った戦争については https://digital.asahi.com/articles/ASH7Y7K4RH7YUTIL045.html
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