歌手の新谷のり子さんは1983年8月6日にパレスチナ難民キャンプで「原爆を許すまじ」を歌ったが、歌う前に「今日8月6日は私たち日本人にとって悲しい記念日です」と紹介したところ、前のほうに座っていた難民の子どもたちが「ヒロシマ、ナガサキ!」と大きな声で言ったそうだ。新谷さんが驚き、どうしてあなたたちはヒロシマ、ナガサキを知っているのと尋ねたところ、「いま、僕たちは教科書も何もないけれど、先生が授業の中で教えてくれた」と答えたそうだ。同じアジアの東の端に日本(アラビア語でヤーバーン)という国があってかつての戦争で原子爆弾を落とされて何十万という人が亡くなったということを聞いている。「僕たちは戦争の中にずっといるけれど、でもそこまでつらい体験をしていないから幸せだよ」と話したそうだ。

「原爆を許すまじ」は(作曲:木下航二、作曲:浅田石二)は1954年のビキニ環礁の水爆実験で第5福竜丸が被爆したことを受けてつくられた。作曲者の木下氏は「原爆の図」(丸木位里・丸木俊作品、昭和25年)をメージして詩を書いた。新谷さんがパレスチナ難民キャンプで原爆を許すまじ」を歌った当時、「原爆の図」はあまりに悲惨だということで教科書から掲載されなくなっていたが、新谷さんはパレスチナの子どもたちの言葉を聞いて本当のこと(被爆の惨禍)はきちんと教えなければダメだと思ったそうだ。(「武田鉄矢の昭和は輝いていた」2021年7月2日放送より)
イスラエルの政府高官ダニエル・シーマンは、「広島と長崎に投下された原爆は、日本による侵略行為の報い」「平和式典は独善的でうんざりだ」と語った。しかし、言うまでもなく、広島、長崎の原爆投下の犠牲者となったのは、日本の侵略行為を決定した為政者や軍部とは関係のない人々で、また式典はアメリカを責めたり、ましてやアメリカへの報復を唱えたりするものではまったくない。英語で自らの被ばく体験を語る小倉桂子さんは、私たち広島の人間はアメリカへの恨みを口にすることはありませんでしたと語っていた。そこがアメリカへの報復を目的に活動するアルカイダやISのような武装集団と日本の被爆地の人々が異なるところだ。

日本はパレスチナ支援への関与をどんどん深めてほしい
シーマン氏は平和式典のことを「独善的」というが、イスラエルこそ「安全保障に不可欠だからイスラエルの行為は正当」という独善的な主張で、占領やガザへの経済封鎖、あるいはガザ攻撃を正当化してきた。イスラエルは8月上旬、ガザを4日連続で攻撃したが、その直前にイスラエルはヨルダン川西岸のジェニンで武装集団「イスラム聖戦」の指導者を逮捕・拘束していた。イスラエルはこの拘束によってガザの「イスラム聖戦」がロケットをイスラエル領内に撃ち込むことを分かっていたが、「イスラム聖戦」がイスラエルの予想通りにロケットで報復すると、ガザを空爆し、子どもや女性を含めて80人超が死傷した。
8月16日、イスラエル軍当局は8月7日、ガザのファルージャ墓地への空爆でパレスチナ人の子ども5人を殺害したことを認めた。当初イスラエル軍は「イスラム聖戦」のロケットの犠牲になったとありもしない主張をしていた。ヒロシマ、ナガサキは戦後80年近く戦禍を被ることがなかった。幸せの軽重を量ることなどできないが、パレスチナの人々が現在幸せでないことは確かだ。

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