三度許すまじ原爆を世界の上に ―高峰秀子、ピート・シーガー、天本英世

日本語記事
スポンサーリンク
Translation / 翻訳

 広島の原爆投下から78年。昨日紹介した映画「二十四の瞳」で大石先生を演じた高峰秀子が映画「ぶらりぶらぶら物語」(松山善三監督、1962年)で「原爆を許すまじ」(作詞:浅田石二、作曲:木下航二)を反核デモの中で、アカペラで歌うシーンが登場する。

「高峰秀子 おしゃれの流儀」(筑摩書房)
https://www.asahi.com/and/article/20200620/401518081/


 この歌はピート・シーガーも英語と日本語を交えて1968年にオーストリアのメルボルンで歌った動画がある。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm31206026


日本語を交えながら英語では下のように朗読したり、歌ったりするが、真摯に歌う彼の歌に聴き入る聴衆の聴衆の表情も心に響くものがある。ピート・シーガーの夫人は日系だったので、シーガーには日本人の心情が理解できたのだろう。


In the place where our old home was destroyed,
We bury the charred bones of our relatives,
Now the white flowers are blooming there.
Oh, we must never allow, we must absolutely forbid another Atom Bomb to fall.

Pete Seeger – Never Again The A-Bomb (原爆を許すまじ)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31206026


 日本語の歌詞は下の通りだが、この朗読の部分はほぼ日本語に忠実に訳したということになる。
1 ふるさとの街焼かれ
  身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ原爆を
  三度(みたび)許すまじ原爆を
  われらの街に


 「二十四の瞳」で高峰秀子の夫役を演じた天本英世は「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督、1967年)では横浜警備隊長の佐々木武雄大尉を演じて、当時の鈴木貫太郎首相の公邸や私邸を、横浜工業専門学校(現在の横浜国立大学工学部)の有志らを募って焼打ちする。天本英世は首筋の筋肉を浮き立てさせながら激しい号令をかける。狂気の抗戦派の役を好演しているが、実際の天本氏は戦争など大嫌いだったらしい。

天本英世
「日本のいちばん長い日」より
鬼気迫る演技でした


 東京大学法学部で国際政治を学び外交官を目指していたが、日本の侵略戦争に失望して文学や演劇に没頭するようになったと言われている。学徒動員に激しく反発し、自身が長身だったために将校たちの妬みからいじめられたと回想し、戦争を賛美するような映画には絶対に出演しなかった。しかし、平和の中で議論をしようとしない日本人を「平和ボケ」とも形容していた。


 天本英世氏はこう語ったが、「日本のいちばん長い日」でも議論ばかりでなかなか意思決定できない日本人の欠点が表れていたように思う。8月6日、8月9日に原爆を投下され、またソ連が参戦してもそれでも決断できない日本政府や軍の上層部はいたずらに犠牲者を増やしてしまっただけという印象がある。それ以前にもっと早く武器も弾薬も尽き、物量でとうてい米軍にかなわない判断して敗戦を認めていたら、100万人以上の命は助かっただろう。それは開戦に至る過程にも言えるのかもしれない。ずるずると決断できないままに戦争に向かい、大きな破滅に至った。

アイルランド
コークで
広島・長崎の原爆記念日で
Naurumi, a member of Cork’s small Japanese community lays flowers on the Hiroshima / Nagasaki memorial in Cork, Ireland to mark the 65th anniversary of the atomic bombing of the two cities in August 1945. The simple ceremony was organised by the Workers Party
https://www.flickr.com/photos/workerspartyireland/2741133626


 天本氏は日本人には議論をすることが少ないと常々言っていた。特に平和の中で自由であろうとする闘いが必要だと語ったその闘いとは何か、具体的には日本人の自由を制限する文部省や教育委員会のバカたちとの闘い、日本の政治家たちとの闘いでありと語り、「君が代を歌う、歌わないというのは、個人の自由であるのだが、揃いも揃った愚かな政治家たちが、君が代を歌わない人間は日本人ではないといい出した。高松市の教育長などは、教師と児童生徒には君が代を歌わない自由はないという恐ろしい発言をした」(天本英世『日本人への遺書』徳間書店、2000年)。


 最近、プロ野球やラグビーの試合を観に行くと、試合前に「君が代」を歌うようになっている。思わずいつから歌うようになったのだろうなどと違和感を覚えてしまう。なぜ歌うのか、そこには真摯な議論があったのだろうか。議論なき国民は国を亡ぼす、三度原爆を落とすことになることを天本氏は日本社会を観て危惧していたのだろう。

アイキャッチ画像は藤城清治

目次

平和記念公園 #原爆ドーム

日本語記事
miyataosamuをフォローする
Follow by E-mail / ブログをメールでフォロー

If you want to follow this blog, enter your e-mail address and click the Follow button.
メールアドレスを入力してフォローすることで、新着記事のお知らせを受取れるようになります。

スポンサーリンク
宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会

コメント

タイトルとURLをコピーしました