フィンランドとスウェーデンのNATO加盟にトルコが激しく反発している。これらの二国が「クルド人テロリスト」の活動の温床となっているというのがその理由だ。クルド人の武装勢力PKK(クルド労働者党)は1970年代からトルコの安全保障上の懸念となってきた。「国際危機グループ」によれば、2011年からのトルコ政府軍とクルド武装勢力の内戦でトルコ、クルド双方の犠牲者は6000人近くとなっているから激しい紛争と言える。
スウェーデン、フィンランドはクルド人難民を比較的多く受け入れてきた。スウェーデンにはクルド人が6万人から7万人、またフィンランドには1万5000人前後暮らしている。エルドアン大統領らトルコ政府指導部はこれらの二国のクルド人の動静を気にかけている。ドイツには90万人近くのクルド人がいるが、北欧の二国はドイツほどトルコとの経済的結びつきが強くない。
クルド人は、第一世界大戦後の1920年のセーブル条約で将来の「クルド国家」を考慮した自治を約束されたが、しかしトルコ共和国の建国の父とされるムスタファ・ケマル(ケマル・アタチュルク)は、「祖国解放戦争」でトルコに過酷な条件を突きつけたセーブル条約を破棄して1923年にローザンヌ条約を戦勝国と結び直した。この条約では、イギリスのクルド地域の資源に対する野心もあってついにクルドの自治はついに実現されることがなかった。クルド人問題は中東地域が英仏の利益配分によって分割されたという歴史的経緯とも関連している。

マリウポリの制圧でロシア軍がチェチェン人の部隊を展開したことが伝えられた(朝日新聞5月18日)。ウクライナ軍との激戦でロシア人兵士たちに多数の犠牲者が出れば、ロシア国内の世論に影響を及ぼし、プーチン大統領への批判が強まることが考えられる。チェチェン人ならば、国内的批判が高まらないという判断だろうが、第一次、第二次世界大戦などでヨーロッパ諸国が植民地の住民をいわば「弾除け」として使ったことを彷彿させる。
第一次世界大戦では、ヨーロッパ諸列強によって、アフリカ、アジア、カナダなどの植民地や自治諸国から400万人以上がヨーロッパ戦線に兵士や後方支援要員として送られた。2007年制作の「デイズ・オブ・グローリー」はアルジェリア、フランス、モロッコ、ベルギー合作映画でアカデミー賞外国映画賞候補にもノミネートされた。第二次世界大戦でフランス軍兵士として戦った北アフリカ(マグレブ)の兵士たちは、ドイツ軍と戦いながらも祖国(フランス)を見たことがない。軍隊の中で食事の待遇などで差別を受け、フランス人兵士たちよりも前線に送られ、功労もフランス人兵に横取りされてしまう。

https://sartorialadventure.tumblr.com/post/150859652547/traditional-circassian-gowns-2-and-3-are-a?fbclid=IwAR1_nW0oe3UMqAGEcZZ6hcY4Gi9O5DGtse_5MK2S6bUS7AtaREjDC_9xXLY
チェチェン共和国は、ユニセフのデータでは2017年に貧困率が50%、紛争などによって国内避難民になった者たちが20万人いる。チェチェンのカディロフ首長は、チェチェン人傭兵たちに一人30万ルーブル(3700ドル)を与えたと見られている。
カディロフ首長は、過去のチェチェン紛争でロシア軍の攻撃を逃れてトルコで暮らすチェチェン人などからはプーチン大統領の「傀儡」として見られ、トルコのチェチェン人たちはロシア軍のウクライナ侵攻をかつてのロシア軍によるチェチェンへの軍事制圧と重ね合わせて見ている。カディロフ首長にはロシアによって制圧されたチェチェン紛争のチェチェン人犠牲者30万人を裏切るものであるという声も聞かれる。
このように、ウクライナでの戦争はプーチン大統領の侵略的姿勢とともに、歴史、特に19世紀から20世紀にかけての帝国主義の時代の影の部分が色濃く見てとれるようになっている。
アイキャッチ画像はフィンランドのクルド人
https://en.wikipedia.org/wiki/Kurds_in_Finland?fbclid=IwAR3-KLxkwp9D_i8RhJaRJ8OBmUvUE8VYrO-wtpSmvA5O8UJ3M4-fbVBEU7U
コメント