ウクライナの伝統料理と言えば、ボルシチと水餃子、ロールキャベツなのだそうだ。(オリガ・ホメンコ「ウクライナ料理へのいざない」『ウクライナを知るための65章』)ボルシチがウクライナ料理というのは意外という気もするが、日本ではロシア周辺の起源のもの、あるいはロシア周辺に生まれた人物でさえ、ロシア由来のものやあるいはロシア人と伝えられている場合がある。

ウクライナ出身の詩人で、エスペランティストのヴァシリー・エロシェンコ(1889~1952年)は、日本では按摩などの職業で目が不自由でも自活できると聞き、日本語を学び1914年に日本にやってきた。日本では詩作やエスペラント語の普及に励んだが、新宿中村屋の創業者夫人の相馬黒光(こっこう)と親しくなり、彼女のことを「マーモチカ(おかあさん)」と呼ぶようにもなった。長女俊子がインド人ラース・ビハーリー・ボースと結婚するなど黒光は国際的な感覚をもった人で、エロシェンコからもロシア語を学んだ。ちなみに、ボースと俊子の媒酌人となったのは、東洋から西洋を駆逐する「大アジア主義」を唱えた玄洋社の頭山満であった。中村屋も「大アジア主義」の一つの中心で、母国から排除された人々に避難と活動の場を与えていた。
エロシェンコは鶴田吾郎と中村彝(つね)など高名な画家のモデルを務めたり、また彼の脚本の朗読会もでき、エロシェンコを中心に中村屋では文化サークルができ上っていった。エロシェンコは中村屋にボルシチとピロシキを伝え、1927年にボルシチ、また1933年にピロシキが中村屋のメニューとなった。中村屋では現在でもボルシチとピロシキは看板メニューとなっている。相馬夫妻にはエロシェンコがいつも身につけていたロシアの民族衣装ルパシカを店員の制服にしたほどエロシェンコに対する思い入れがあった。

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ボルシチは、日本の味噌汁のように、家庭や地域のように様々な味があるそうで、冒頭のホメンコさんによれば、モスクワ風のボルシチはソーセージを入れるが、ウクライナのボルシチは牛肉のだし汁から作り、基本的にはニンジン、タマネギ、ビーツを細かく刻んだものを炒めて水を加えて煮る。ピロシキも中身は肉、キノコ、ゆで卵、タマネギ、ジャム、カッテージチーズなどを揚げパンのようにオーブンで焼く。
エロシェンコは、秋田雨雀や大杉栄など日本の社会主義者たちと親交をもち、社会主義に傾倒し、日本の官憲からボルシェビキと疑われて逮捕されるが、中村屋の相馬夫妻は淀橋警察署長を訴えるなどエロシェンコの救援に尽力して、エロシェンコは釈放された。彼は1921年に魯迅に招かれて北京大学で教えるようになり、中国で創作活動を行ったが、24年にモスクワに移った。戦後は中央アジア・ウズベキスタンのタシケントでも暮らしてもいる。
エロシェンコの日本時代の初期の童話「魚の悲しみ」には次のような一説があり、日本ののどかな春の情景や情感を感じさせ、こちらまで暖かな気分になりそうだ。
「その春は、ほんとうに愉快でした。朝からウグイスやホトトギスなどのえらい音楽の先生たちが独唱したり、蜜蜂の娘さんたちや大蜂の姉さんたちが合唱したり、蝶の踊子たちが舞を舞ったりしますし、晩になると蛙のいとこの詩人たちが歌の会や演説会を開いて夜おそ くまで騒いでいました。」
アイキャッチ画像はは中村屋のピロシキ<商品概要>
店舗:新宿中村屋ビル 地下1階 「スイーツ&デリカ Bonna(ボンナ)」
発売日:2015年3月30日(月)
商品名:新宿ピロシキ
価格(税込):324円

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