祷(いの)りは歌に 歌は祷りに 聖夜更(ふ)く/下村ひろし(1904~1986年)
下村ひろし氏は長崎の開業医で、被爆者の医療活動に努めた人です。下村氏には「消えぬ怒り 消えぬケロイド 原爆忌」などの原爆に対する怒りや心の傷痕を詠んだ俳句があります。冒頭の俳句は祈りと聖歌が重なり合って平和への想いが重く響いてくるような作品だと思います。
作家の林京子さんは、1945年8月9日に長崎市内の三菱兵器工場に学徒動員中に被爆しました。被爆から30年後、その体験をモチーフに書いた短編『祭りの場』で、芥川賞を受賞しました。
林さんは、長崎の原爆投下から54年後の1999年にアメリカ・ニューメキシコ州トリニティ・サイトを訪ねました。ここは、1945年7月16日に核爆発実験が初めて行われた場所で、この時と同じプルトニウム型の原子爆弾が長崎に投下されました。林さんはトリニティ・サイトでカラスなど鳥も飛んでいない様子を見て、広島や長崎より前に原爆の犠牲になった声なき生物がいたことを知りました。

現代パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュは、占領下に置かれたパレスチナ人の民族的情感や平和への心情を詩に託し、パレスチナ人の間で広く敬愛されています。
彼は、2008年の広島の原爆記念日(8月6日)を重い心臓疾患の手術の日に選び、その直後の8月9日(長崎原爆の日)にその合併症のために亡くなりました。日本の原爆忌と縁がある人でしたが、広島、長崎への原爆投下は、彼の作品にも強いモチーフを与え、またこれらの都市は彼の人生と縁があるものとなりました。
彼の作品『忘却の記憶において』で、イスラエルが包囲したレバノン・ベイルートでの戦争の惨禍を1982年の「8月6日」に焦点を当てて描き、その日にイスラエルが広島の原爆と同様に、新型の燃料気化爆弾でベイルートの12階の建物を形がないほどに吹き飛ばしたことを、日本の被爆者たちの悲劇と重ね合わせました。
アイキャッチ画像は長崎原爆忌ミサ
早朝ミサで原爆犠牲者の冥福と平和を祈る人たち=長崎市の浦上天主堂で2019年8月9日午前6時10分、矢頭智剛氏撮影
https://mainichi.jp/graphs/20190809/hpj/00m/040/001000g/2
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